トワイライトの店長「風立ちぬ」を語る

先日、つぶやいた内容ですが
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英国一家日本を食す」第二話觀ました。
天ぷらにケチャップ、
どんな食べ方をしようとそれは人の自由だし
「味の好み」と言う点は「人の好みであり人それぞれ」
しかしながらこの天ぷらを作ったご主人は衣を作るまでに10年の修業をしたと言う
「魚の知識」「季節」等などだけど知識だけで10年も必要なのであろうか?
そうでは無い、「食材の声を聞く」

食材も生き物であり同じナスでも魚でもエビでもある種のパターンはあれど
一つ一つ違うのであり、その食材を見て触れて
当日の気温や湿気、時間、食べる人の体調などを考え
その時に最も適した調理方法(包丁での切り込みの深さや角度)
そうした職人の経験則と技法がもりこまれている芸術でもあります。

そうして盛り込まれた技法は食べる側も意識して受け取らなければ
見逃したり違いが解らなかったりします。
「天ぷらは天ぷらでしょどれ食べても同じっしょ」
と、なるかどうかの違い。食べる人には調理場の厨房の解らなくても良い事だけど、
解らないともったいないと、私は思う。

私が調理師専門学校に通っていた頃、
フランスのシェフが「日本料理なんて切って載せただけなんて料理じゃない
」料理とは「食材を美味しく食す為に加工する技術の事」と言ってました。

しかしながら、日本料理は「食材の本来持っている味をどこまで引き出せるか?」と言う技法、
私はアニメーションの「絵に命を吹き込む技法」と精通する所があると思います。

「食べるだけでその食材が育った風景が見える味」味わってみたいものです。

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これらを踏まえて
私には「風立ちぬ」がどのように見えていたか?

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そんなお話です。

実在の人物である堀越二郎をモデルに、その半生を描いた作品で
たぶん、お話のテーマは「人の命の時間には限りがあり1分1秒を大切に一生懸命生きましょう」
と言うものであったと思います。

話の内容的には都市伝説や色々な事が言われていますが
正直私にはそういう事はどうでもよくて

私のお話は「宮崎先生がこの作品で何を描いたか?」
と言う単純なものです。

まぁズバリ言えばこの作品で宮崎先生は「風」を描いたのだと思います。

随分前に宮崎先生の「アニメーションの魅力を語る」と言うインタビューで
宮崎先生は風というのは「玉であり球体」とコメントしたことがあります。
例えば旗ですがそれがたなびくシーンを想像して頂きたい

パタパタとたなびく旗に大小の球体が布部分をを撫でて抜けて行くシーンを想像してみてください

そういう事を想像しながら実写では無くアニメ表現として
旗がたなびくシーンを描いているわけですね

それは、時代を超えて宮崎先生が進化させ続けながら表現してきた部分
ハイジのスカートからハウルの動く城でどのくらいスカートなど布部分が
風の影響を受けてたなびくようになったか見比べてみるのも面白いですよ

通常、マンガ表現やアニメ表現では風は斜線などの線で表現されてきました。

しかしながら「風立ちぬ」では風を線で表現した部分は一切ありません
それどころか風を描いていません

風を描かずに風を表現する
それはどういうことなのか?

風立ちぬの予告編だけでもすごく表現されていますよ(^^)

https://www.youtube.com/watch?v=lKsauOY2EAo
↑風立ちぬ 予告編

見えない風は見えましたか?(*´艸`*)
そこだけでは無いのですが

主に絶賛は紙飛行機のシーンですね
低空と上空で吹いている風の方向が違って温度も違う
その風をどのように切って風に乗って飛行機が飛んでいるのか?
感じ取れましたか?

実に見事な表現です。

今まで宮崎先生は「トトロ、ラピュタ、ナウシカ、紅の豚、等など」実在しない世界ばかり表現してきており
その実在しない世界にリアリティを描くことでその世界に生命を吹き込んで来ました。
ですので人の伝記を宮崎先生が描くとはどういうことだろう?と思っていました。

今までの宮崎先生の風の表現の集大成はここにある!
そう感じたので引退宣言も納得しました(次回作の思い出のマーニーもやるそうですがw)

宮崎作品は「見るだけではなく五感で感じて欲しい」そんな日本が誇る最高峰のアニメーションです。

はい、今回のお話はここまで(^^)
もしも、今回のお話で「風立ちぬ」をもう一度觀てみたい
とか、思ってくれたなら幸いです(*´艸`*)

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最後に、他のインタビューで
宮崎先生は引退を考えるようになったのは
「今の人達の顔が見えなくなってきた」と述べていました。

それは上記の料理人のお話の項目にある
食べる人の姿が見えなくなった
と言うことと等しいと思います。

作り手として表現者として
「誰かに向けて表現している物がその誰かの姿が見えなくなると表現出来なくなる」と言う事になります。

これは少女漫画でもそうですが
少女漫画家は年齢を重ねると新人としてデビュー出来なくなります。
若い方の感性についていけなくなるからだそうです。
いわゆる、「何を求められているのか解らなくなりプロとして表現出来なくなる」と言う事です。
もちろん、営利を目的としない同人活動などならば
自分の世界を表現し続ければ良いのですが
商業ベースとなると別になるということ

そのインタビューの最後に宮座先生は
「ちゃんと受け止めてくれるお客さんに出会いたいと思って作ってる」
とこう述べていました。

これも上記の料理の話と精通してる部分で
料理人がそこまで考えて作ってるものも
食べる側が意識して食べないと解らない部分です。

皆が皆そうあれ、と言うものではなく
オタクは消費者でありファンであり探求者であり研究者であるならば
そうした部分をちゃんと受け止めて評価し支える存在であると
私は思っています。

海外ではオタクと言う言葉は「○○マスター(極めし者)」と同等の意味を持ち
尊敬され評価されているそうです。

「オタクがオタクであることに誇りを持てる」そんな社会にするには
こうした事を踏まえれば可能だと思うし
そしてコレからの人達が好きな物を好きと言っただけで
犯罪者か売春婦でも見るような社会では無く

堂々と公言出来て何かが好きってこととそんな自分自身をを誇りに思える
そんな社会になって欲しいと思っています。

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