コスプレをする事に誇りを持って欲しい

『刀剣乱舞』のコスプレイヤーが無断で敷地に侵入、
桜を折って逆ギレ→ツイッターで報告した被害者が袋叩きにされる事態に
in115.com/archives/52074989.html

↑最近呟いたニュースですが
私から言わせればこちらはコスプレイヤーでは無く
仮装したDQNなのですよね。
【DQN=不良や反社会的な人、ヤンキー系列の低脳な人間、
非常識な奴、支離滅裂なことを言ったり説明能力のない人間を指す言葉】

DQNとかあまり、良い言葉ではありませんが
あえてこの言葉を使うには理由がありますがそれは後に…

とりま、次のニュースですが

【悲報】日本の奇祭「かなまら祭」の巨大男性器モニュメントの設置が自粛へ! 
一部客の露出・違法行為に神社側が激怒 :
http://jin115.com/archives/52075126.html

↑こちらはコスプレイヤーでも無ければ仮装をしている訳ではありません
でも、やってる内容は私は上記のニュースの人と同じだと思っています。

野球の時もそうですが優勝すると川に飛び込む人達がいます。
そうした人達はファンでもなんでも無くただ祭りに便乗して
はしゃぎたいだけの人達なのでしょう。

何が言いたいかというと
こうした人達は必ず出てくる訳で
私はアニメや漫画やゲームの扮装をしてるからと言って十把一絡げで見られるのでは無く

「本当のファンだったらこういう事はしない」

と、ちゃんと区分してみてもらえるようにしたいと思っています。

だから口を酸っぱくするように何度でも
「ファンとはその作品と同じ作品が好きな人達を大切にする人の事」と言ってます。

「何かが好き」と言うのは「好きなら何をやってもいい」と言う免罪符では無いのです。
こう言う思考は自分勝手で自己中心的なストーカー心理みたいなものです。

現代社会では芸能人が仕事でアニメや漫画キャラの扮装をしても
コスプレとニュースで報道されたりします。
では、ヒーローショーでヒーロースーツ着た人達はあれはコスプレですか?

私達、同人イベント発祥のコスプレは初期は「ファンによる仮装参加者」と呼ばれていました
何かが好きでその想いを形にした
それは絵が得意な人は絵で漫画が得意な人は漫画で文章が得意な人は文章で
音楽が得意な人は音楽で衣装を作れる人は衣装で表現した。

得意と言ってもプロではありません
絵が上手い人そうでもない人もいろいろいます。
それは衣装作りやメイクだってそうです。
素人が手探りでそれでも一生懸命思いを形にしようとした努力の結果です。

ですので、私にはそのファンの想いを一生懸命紡いだコスプレと
上記の祭りに便乗して非常識な行動で法を犯したり自分だけが今だけが面白ければいい
やったもん勝ち的な人達と同じ人達であり仲間だと思われるのは非常に不快であります。

人の思いというのが数値化出来ないことを良いことに
「好きである」「ファンである」と言う言葉を盾にして犯罪を犯すのであれば
それは「悪用」としか言いようがありません

ファンが「ファンとはその作品と同じ作品が好きな人達を大切にする人の事」であるならば
自分達が好きな物をそう言った悪用に利用されるのであれば
人一倍不快になるのは当然の心理だと私は思います。

こうした事をする人達の中には
「ある程度悪さをしても仲間が沢山居るから手が出せない」
こう考えている人も居るかもしれません

確かにコミケは3日間で約60万人の人が出入りします。
たぶん、GLAYやスマップがコンサートを開いてもこれ程の人は集まらないでしょう。

ですが、ここで一つデーターを出してみますね
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●コミケット3日で約60万人
●全国のコスプレイヤーの数、およそ10万人

◎東京の人口約1300万人
◎日本の人口約13000万人

○新宿駅の利用者1日で350万人

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コミケットの60万人も3日間でのリピーターの数も入っています。

私が「私達は少数派であり弱者である」と言っている意味がお解り頂けたであろうか

もしも、明日にでもアニメや漫画やコスプレや同人が無くなったとしても
社会にはそれほど大きな影響は無く
違う娯楽を探すだけなのだと思います。


ただ、アニメや漫画やゲーム等にかんするサブカル文化は
【不況の時代にも売上を伸ばしている】と言う実績があり
この社会不況を脱出する数ある中の一つの可能性としてピックアップされているに過ぎません


これが社会にとって悪だと多くの意思に判断されれば
簡単に消えてしまう世界なのです。


ですが、どうしても上記のニュースのようなDQNは必ず出て来ます。
だから、私達はコスプレをする事に誇りを持ち

祭りに便乗してアニメや漫画キャラの扮装をしてそれらを悪用するDQNと
想いを継ぐんで形にする我々とは違うのだと主張せねばなりません


私があえてDQNと言う言葉を使うのは
「ファンならばそうした人になり下がるな!」と言う強い思いがあるからです。
【DQN=不良や反社会的な人、ヤンキー系列の低脳な人間、
非常識な奴、支離滅裂なことを言ったり説明能力のない人間を指す言葉】


「かなまら祭」でもDQNに荒らされて規模縮小や自粛に追い込まれています。
それは私達の明日の世界かもしれません

このまま、私達の活動とDQNを同一視され続ければいずれは
私達の活動も社会に悪と判断されるでしょう

結託してそうした社会の風と対抗しようにも
仲間意識は薄れ結託力を失いつつあるのも不安要素の一つです。

コスプレだけ觀ても「同人イベント」→「コスプレオンリー」→「スタジオ撮影」「ロケ」と
こうした流行の流れを見て周囲に人が居る環境から
だんだん周囲には人が居ない環境を好む流れになってきています。

「身内だけで楽しむ」「知ってる人達だけで楽しむ」
では、その身内や知っている人達は、その仲間と呼べる人達は何万人居るのでしょうか?

喫茶トワイライトにもスタジオはありますが
私はスタジオを流行させるつもりでやっているのではありません

現代の流れが「スタジオに向かう人が増える」と予測して先回りして
スタジオを利用する人達に喫茶トワイライトを通して
同人イベントやコスプレイベントに興味や感心を持ってもらいたい
そしてスタジオを利用する人達同士に交流や繋がりを持ってもらいたい
そうした思いがあります。

そして「ファン」と「DQN」の区別が付くようにラインを引く

このラインが上手く引けないと
一般社会的にみても
【この社会不況を脱出する数ある中の一つの可能性」
の一つを失うと言うことはそれも社会的損失だと私は思います。



あと、「ファンならば制作側の事も知って欲しい」
これは、個人的な願望ですが
桜の木を折った娘さんも
もしも、桜がそこまで枝を伸ばすのにどれだけの年月と
それをそこまで大切に育てる苦労とかそうした知識があったならば
大切にしてくれたんじゃないか?と思うからです。


オタクは脳味噌が大人になれない残念な大人子供ではありません
空想を現実にする力
いわゆる2次元にあるものを3次元に引っ張りだす力や可能性を持った存在です。
私達が当たり前に出来る事も誰しもが当たり前に出来る事ではありません

人の想いは比べるものではありません
自分自身の想いもその時のお想いが本物であったならば無かった事にしたい過去にしないで下さい。


昔の日本の職人さんの言葉でこういうものがあります。

【仏作って魂を入れ忘れ】

技術だけを学び形だけは立派なものを作れても
作った者が魂を入れなければ、単なる木や石と同じである

と言う意味の言葉です。

私達はまず愛を込める所から入ります。
職人さんでも忘れがちであり見失いがちであり最終段階の部分です。

その部分を私達は一番最初に込めているのです。
技術に溺れてそれを見失わないで
営利を目的としない私達はそれを生活のために売る必要はないのだから…



●2次元を3次元に引っ張りだす(空想を現実にする)
●想いを込めて形にする
●思いのこもった物とそうでないものの区別を付けられるようになる
●他者の思いを理解出来るようになる

文明社会で教育とは人創りであるならば
社会が共存生活を送ることが前提であるならば
個である人が人として文明人として生きて行くのにどれほど必要なことが
ここにはあるのだろうか?


私達はとても素晴らしい事をしているのです。
それを「楽しいから学べる」ならばこれ程素晴らしい事はそうはない
「好きこそものの上手なれ」
【誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、
自然に上達するものである。】


同人イベント発生のコスプレならば
その精神さえ受け継げば
コスプレは恥じることではない
コスプレをすることに誇りを持って欲しい




「フロム・ビジョン・トゥ・リアリティ」
ビジョンをかかがればそれは現実となる
↑砂漠に都市を創ったドバイのスピリッツ精神だそうです。

規模の大きさは違えど
人の想いを空想を現実にする
そのスピリッツは同じなのです。

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