日本全国オタク化計画(そして、今、失われしもの…)

まず、今回のお話に入る前にこちらの動画に眼を通していただきたい
https://www.youtube.com/watch?v=BSIJIqERfj4
「ジャパンプライド3」
35:36秒辺りから
「アメリカ寿司VS日本寿司」の続編で「海外寿司VS日本寿司」があります。

ここで海外寿司のシェフのティムは
【創造性と言う部分において日本の寿司は世界に後れを取っている】
【伝統に縛られすぎていて進化が止まってしまっている】
↑このように述べています。
要するに「世界の寿司は発祥の日本であっても既に追いつき追い越した」
と、言っているのです。

そして更にこう言います。
【世界では日本の伝統的な寿司より僕の寿司のほうが需要があるのは事実】

「何を言ってるんだコイツ」
「解ってない」
「そんなバカな」

こう思いの方も居るかもですが
そもそも日本の寿司は長い間なかなか海外に受入れられることが出来ず。
嫌々ながら日本食は健康に良いとか言われて我慢して食べていた程度だったのですよね

もちろん定着させようと色々な営業マンがあの手この手を使った背景もありますが
料理人だって美味しく食べてもらおうと
現地のシェフ達の試行錯誤もあり進化し続けた背景があります。

もしも、海外のシェフの寿司に「えぇ~!」とか驚かされたなら
その時点でシェフの術中にハマったものと言えるでしょう。


さて、対する江戸前寿司の寿司職人の岩さんはこう語ります。
【日本の文化が外に広がる事は良い事、ただ、それが間違った感じでいかなければいい】
【僕達は日本人として伝統を受け継いで来ている】

さて、両者の意見が出た所で相反したものがあります。
ティムは「日本の寿司は伝統に縛られて進化が止まった」
岩さんは「伝統を受け継いで来ている」

はたして、伝統を受け継ぐがあまりそれに縛られ盲目となって
本当に日本の寿司は進化が止まってしまったのであろうか?
それとも、それらも承知のうえで守り引き継いでいかなくてはいけない
伝統とその価値というものがあるのか?

そうした視点でお話を進めていきたいと思います。

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そもそも寿司とは何か?
Wikiにはこう記されています
「寿司と呼ばれる食品は、酢飯と主に魚介類を組み合わせた日本料理である」
あくまで「主に魚介類」であり魚介類でなくても
寿司にはなるのですよね

ならば、安くてよりより面白くて美味しい寿司に軍配が上がる
そうした視点で見れば海外寿司が優勢であり
なるほど「日本の寿司は伝統に縛られて進化が止まった」と言う意見にも頷けます.
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しかしながら多くの日本料理の神髄は
「食材、そのものの味をより引き出し味わう」と言う物があります。

所謂、これこそが日本人の精神の「侘び寂び」の精神そのものなのです。

詫び
「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」
錆び
「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」

日本の伝統の寿司もその例外では無く
逆に江戸前寿司や老舗の店は色濃くその日本料理の神髄を伝統という形で
受け継いでいるものなのです。


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例えば、解りやすい例えで
スイカを食べる時に塩をかけて食べたりしますね
想像してみてください。

スイカに塩をかけるのは
スイカの本来の甘みを引き出し味わう為に適量をかけるのですよね

スイカの味が損なわれるほど塩をかけるのは無粋と考えるのです。
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もしも、この塩がとても美味しい塩だったとします。
塩が美味しいのでついつい塩をかけ過ぎてスイカそのものの味が損なわれてしまう。
それどころかスイカの味がしないほどかけてしまう

いやいや、そんなバカな?

そうでしょうか?
では、塩をソースに置き換えスイカを他の食材に置き換えて想像してみてください
普段の食事でどれだけその食材そのものの味を楽しんでいますか?

番組の105:27辺りでヒラメの昆布締めの刺し身を食べた時に評論家はこう語ります
「ヒラメを食べた瞬間、あまりに味が無くて拍子抜けしました」
「ただ、噛んで行くうちに純粋な魚の味を感じその不快味わいに感激しました」
と、あります。
これこそが日本料理の伝統で伝えていることであり
侘び寂びの
「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」
「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」なのです。

こうした心は食を通し大自然の恵みの豊かさを人に教えてくれます。
そして、人も自然の一部であり自然を大切にする事、
さらに、その自然を損なわないようにして人がどのように発展するべきなのか?
そういう事を考えさせてくれます。

日本という国の自然の森林はその70%が人が管理しないと枯れて無くなってしまうと言われています。
もちろん、本当に無くなるのではなくきっと人が管理していた自然が無くなるだけで
雑草とかがお生い茂るだけなのでしょうが
「人が自然を理解して管理共存している姿」と考えて見ていただければ幸いです。

食を通してこうした事を学び理解してこそであり
理解出来ないものはそこに存在していても「無いに等しい」と言う事を忘れてはいけません

ヒラメの味というものはとても繊細な味です。
食べる側がその味を味わおうと意識して探さないと
「味がしない魚」としか認識されず味付け用の濃いソースの開発が進み
養殖するにしてもヒラメ本来の味が濃くなるような育て方はしないでしょう


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ネタバレしてしまえば
僅差ですがこの番組では江戸前寿司が僅差で勝利します。
しなしながら私の見解では
審査員は全員アメリカ人だったとは言え
料理評論家であり味が解る人達であって逆に評論家とは言え
海外の人達は日本料理の事を理解して来ていると言う事を示しています。

ですが、多分まだ庶民の方はそこまで至っているとは考え難いです
だから審査員がアメリカ人のそこらの一般の方々だったら
勝つことは難しかったと思います。

では、これが日本人の一般の方々ならどうでしょう?
今の日本もくるくる寿司や100円寿司が流行していて
庶民にも親しみやすくはなりましたが
そのメニューは海外寿司化してきていませんか?

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「英国一家、日本を食べる」の三話で
日本の料理人達の料理を鬼塚さんが食べた時
画像
画像

「塩辛すぎるし」「味が濃すぎる」
と言われます。
要するにこれは私が上記で書いた「スイカと塩」と同じ現象が起こっていると
思っていただければ解りやすいと思います。

しかしながらこれは「客が求めたっ結果」で
客が濃ゆい味のほうを美味いと判断して変化していったものだと思います。

所謂、味が濃い店が生き残り素材本来の味を引き出そうとした店は潰れたか
生き残るために変化せざる得なかったということです。

そして、それは料理人達の中からも日本料理の神髄を知らず理解出来ない
そうした人達が増えてその逆にそうした料理人が減って来ているということを記しています。

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随分前に作品の話でこの手の話を友人とした事があるのですが

友人は「俺達は別に評論家じゃない、面白い、美味しい、そう感じられればそれだけで良い!」

そう、言われてました。
「理解されないもの認識できないものはそこに存在していても無いに等しい」

人の味を感じ感じる器官は浪費するのです。
例えば同じ甘さばかり食べていると飽きが来てだんだん感じられなくなり
更に甘みを加える。そしてその甘さにも慣れて来て更に甘みを加える
最終的にどうなるかというと味覚が破壊されるか何も感じなくなると言う限界地点に到着するのです。
それは作品を見るという事でも同じ事が言えます。

文明社会における「死に至る病」
この世界を単純化し全てを理解したつもりで
見たいものしか見ない聞きたいことしか聞かない
そんな事しか繰り返さなければ
本当の世界の景色は見えないし感じ取ることは出来ないし
早々と飽きが来てしまう。


所謂「生を実感出来無くなってしまう」心の病です。

好きな感覚は浪費し感じなくなり
嫌いな感覚は敬遠して遠ざける
奥底にあるものは探そうとしない

その先は擬似的に何も感じない世界であり
生物は何も感じなくなると生を実感出来なくなります。
自分自身が何も感じないと他者の痛みも理解出来なくなります。
痛みが理解できない想像できないと
人は人に残酷なことが出来るようになります。

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コスプレも私の感覚では本来は「人の想いを仮装で表現した」「仮装表現」なのですよね
本来は「ファンによる仮装参加者」であった訳であり
いわば、「感情表現の一部」なのです。
コスプレそのものは著作法違反にあたりそれでも企業側は
「ファンが非営利でやっている事だから」と眼を瞑っていてくれているだけであり
企業側は権利侵害で訴えてくるのですから「権利を侵害しない」と言うことを抑えつつ
「コスプレさせてもらっている」と言う製作者に感謝の気持を持って
「人の想いは比べるものでは無い」と言う部分は抑えるものだと思っています。

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(なんか今のコスプレ界ってキャラに似てなきゃdisられるし
ロケーションこだわんなきゃdisられるし
衣装のクオリティ低いとdisられるし
みんなツンツンしてて交流せずに
黙々と良い作品残す為に撮影するしなんかちょっと居づらいよね)
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↑前に見た事があるつぶやきなのですが
コスプレの本質から外れ見た目の華やかさに惑わされれば
コスプレはこういうものになっていくし
居づらくしているのはコスプレを見た目でしか判断出来ない
コスプレする人達自身であるということ。
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私は、今、流行しているコスプレはあまり好きではありません
衣装は量産品、ウィッグにカラコンに厚い化粧
演劇のプロの指導とか熟練者の指導とか知りませんが
コレではキグルミ着ているようなもので
誰が中に入っても同じであり逆に「こうでなくてはいけない」
と言う空気が出来かけているからです。

私はコスプレを通して「その人その人の想いを見たいし感じたい」のです。

この構図は「海外寿司VS江戸前寿司」の構図と類似しているものを感じています。
海外寿司もその功績や進化は評価するべきものであり
コスプレの進化も評価するべきものと思っています。

しかしながら、だからと言って
江戸前寿司や衣装は素人の手作りしかも始めてでウィッグ無いカラコン付けてない
それもでその人が今、出来る範疇で一生懸命表現し思いがこもったコスプレも
否定されなくなっていいものではないと思います。

人の想いもヒラメと同じくよく見ないと伝わりにくいものです。
見た目の華やかさやソースの味に誤魔化されないで
貴方にしか出来無い貴方だけの表現をして欲しい

「人の想いは比べるものじゃない」
↑これは比べないから天井が無い(終わりが無い)と言う事です。

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さて、話を戻して
上記の寿司勝負でも寿司職人の方は素材を探すのに苦労しましたね
素材そのものの味が蛋白であると
素材の味を引き出す日本料理はそのただでさえ解り難いのに
その素材自体の味が薄いと言うことで
日本の漁業がそうしたことにまで気を配ってそれを当たり前と言う高みまで上げていたのですよね

もしも消費者がそれを解らないなら
働く側も「なんでそこまでしなきゃいけないの?」になるでしょう
実際海外ではそうです。


https://www.youtube.com/watch?v=P9m_eeT826Q
↑「ぶっこみジャパーズ」
こちらぶっこみジャパニーズと言う番組でも
寿司についてありますが
番組の作り方にちょっと私的に引っかかりますが
寿司職人の風戸さんが泣いた気持ちに私には共感します。

こちらに出てきた海外の寿司職人は
「寿司は食べたこと無いけどWikiやYou Tubeで見た」
「半年で寿司を極めた」
この用に語っています。

…ネットやiPhoneなどが普及して
こうした人達が日本人にも増えていますよね

自動販売機でコーヒーが飲める時代にスターバックスで高いコーヒー飲むやからの気持ちがわからない
あんなのはコーヒー通を装って企業に踊らされているだけだと言ってる人が
紅茶に関してはネットで調べた情報をそのまま記憶(コピー)して延々と語るのですから(ヽ'ω`)

ネットやWikiは確かに多くのことを調べられる便利なツールです
ネットの情報やWiki等は参考程度に止め
自分の五感を使って感じそして自分の言葉を持って欲しい

学ぶと言うことは真似をすると言う事
極めると言うことは仕組みを理解して自分流に作り上げていく事
Wikiやネットの情報や知識はPCの中にだってある事です。
知識が無くても検索すれば得られる程度の情報であり
その情報を入手した時点でまだスタートラインなのです。

なぜ、そこまでの知識を持っていてそこで満足して活用しない…
勿体無い、次のステップにいけるのに…
と、ついつい思ってしまいます(^_^;)
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この世界の理が見えて仕組みが見えれば
牛だといわれて豚肉食べさせられても気が付かない人にはならないでしょう
https://www.youtube.com/watch?v=byhXhhe1FYU
↑「食品偽装 衝撃の手口」ザ!世界仰天ニュース」
生き残るためにあの手この手を使ってきます。
本物と偽物を見分けられなければ良いカモにされるということ
偽装した方が悪いのは当然ですがそのおかげでそこで働く職員はご飯が食べれたのだし
その子供はその金で教育を受け育ってきたのです。

彼がやったことは決して褒められることではありませんが
どこの世界もギリギリでやっているのなら
国内にかぎらずこうした人達は出てくるものであり
彼の言っている
「販売店も悪し半額セールを喜んで買う消費者も問題がある」
と言う言葉も一理あるかもしれません

安かろう良かろう、では無く
安かろう、には大抵裏がある

美味かろう、良かろう
だけなら日本の伝統の寿司はその美味さが理解されなければ消えていくのみ

私達のオタク文化もコスプレもグレーというとても微妙な立ち位置にいます。
最近は仮装すれば何でもかんでもコスプレ、コスプレと出ますが
コスプレとは何か?を多くの人がラインも引けずに混同し見失えば消え去るのみですし
海外にも間違って伝わっていきます。
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「違いが解るからオタク」であるならば
四季があり感受性が豊かな日本人は全員オタクになるべきであり
オタクは文明人の中でも高尚な存在なのだと思います。

オタクが差別されるのではなくオタクになれない人こそに問題があり
ちゃんと良識のあるオタクに皆がなれるようなシステムや教育の構築こそが
求められる未来なのではないか?と私は考えています。

これらに紹介した人の五感は誰もが持っている機能であり感覚です。
そして五感は鍛える事が出来るものです。

その手始めは「意識すること」です。

私達の世界で言えば
アニメーションとはアニモと言うラテン語から来ており
アニモとは「命」とか「魂」と言う意味を持ちます。
ディズニーは世界にアニメーションを配信する時
絵に命を吹き込む魔法の技術と言いました。

絵に命を吹き込むということは
現実世界の命を良く観察しないと行えないこと

前に私は数回前の日記で「風立ちぬ」で風の事を語りましたね

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もともとこうした能力は誰もが持っていて
例えばだけど「雨読み」の能力もその一つだと思います。
所謂天気を読む力ですが
「数時間後に雨が振りそうだ」とかね
ですが天気予報とか文明社会はどんどん便利になって
そうした能力を磨かなくても良い環境になってきています。
使わない感覚は研ぎ澄まされないし退化して行き失われていきます。

私は昔の日本人のその殆どはオタクだったと見ています。
そうでなければ江戸前寿司とか日本料理の神髄とか残らなかったと思うし
そこまで高尚なものでもなかったのではないかと思います。
オタクである事が日常であり普通であったからこそ
特別では無かった。

現代社会ではそれらが失われつつあるので
私は「人が生を実感して生きる」為に
知能ある本当の人として生きる喜び
この世界に生を受けた喜びを知るためにも

当時は当たり前で必要がなかった事でも
今の現代ではそうした事を教える「教育」が必要なのかも知れません
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今、日本は世界で3番目に裕福な国ですが
そうした先進国の中で最も裕福で貧富の差が激しくないのは日本なのだと思います。

そんな日本で今は先進国の中で一番の自殺者が多い国となっているそうです。
死と隣合わせに居ない私達が更に五感の感覚を麻痺させたなら
死という感覚さえも麻痺するのか
生を実感したくてそうした刺激を求めに行くのか
私には解りませんが文明社会の「死に至る病」を考えると無関係でも
ないような気がしてなりません

最後に「アメイジング・グレイス」の歌詞の
https://www.youtube.com/watch?v=GU72aKC62JM

「今まで見えなかった神の恵みを今は見出すことが出来る」
または「私の目は見えなかったが今は見える」
これは、本当に目が見えないのでは無く五感を研ぎ澄ますことで
この世界の理の一部が見えて理解出来たと言う事を記していると
私は解釈しています。

私は宗教家ではありませんが
料理にしても音楽にしてもこの世界にはそうしたこの世界、
もしくは神と呼ばれるもののメッセージが含まれており
それらを感じ取る扉を開いて理解し想像して創造して共存する
それが自然界にある真の人の姿であるような気がします。
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「現実無くして想像無し」
「リアルな想像は現実と等しい」
五感を鍛えるだけで人の想像力も自然一緒に鍛えられます。
何故ならば「現実無くして想像無し」だからです。

私達の世界で例えるなら
例えばナルトのカカシ先生はどっちの目を隠してるでしょう?

ただ、流すように漫画を読んだ人はパッとは答えられないんじゃないかな?
でもカカシ先生の絵を描いた人やコスプレする人は間違わないようによく観察します。

意識すること
それはそんなちょっとした事からなんですよね(^^)
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日本全国オタク化して扉を開き人類は次の段階へステップアップ
色々見えてしまってこの世界に不満があるなら
その不満の数だけ生きてる間にやれる事はあるのですから

でも、私の感覚では見えたら不満の数が減るのですよねww
理が見えれば仕組みが解り仕組みが解れば解決法も見えてきますしね(^^)v

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