無理が通れば道理は引っ込む

私は一応、日記に書くのはだいたい「道理」のお話をしているつもりです。

道理とは
「物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。
「―をわきまえる」「―に外れた行為」「―にかなう」

例えば法を守る立場の警察が犯罪を犯したとします。
大抵の人は「警察のくせに」と思うものでは無いでしょうか?
それは自分自身だけでなく警察全体の信用を落とす事になります。
それ故に「道理(立場)をわきまえる」「道理(立場)に外れた行為」をしない
と、言うのは自分自身とそれに関係するもの全てを守る行為に繋がると思っています。

これを私はよく「コスプレイヤーの立場」に置き換えます。
同人イベント発生のコスプレはファン表現であり
ファンとは元になる作品や同じ作品が好きな人を大切にする人
それは作品を支えるのはファンだし
ファンはその元になる作品が無いとファンとして成立しないからです。

だからイベント会場でスタッフじゃなくても
その行為に反する行動をする人には
「君がやってるキャラはそんな事をするキャラなのか?」
「君は君かもしれないが君がその格好をしてると
周囲はそのキャラのファンか
野外で私達の立場を知らない人から見ればそのキャラとして見るんだと思うよ」
「君が本当にその作品のファンなら君はファンとしてそれでいいのか?」
と注意する事もあります。

この考えはコミケットの理念
いわゆるコミケットで行われている事の根幹を元にした考え方です。
「私達はファンとして一次製作物の可能性の追求を創作している」
利益や権利に縛られない立場だからこそ
プロには立場上出来ない事もその自由な立場からなら見出せる事があるかもしれない
届く場所があるかもしれない
それが「私達の可能性の追求」です。

だけど、そんな自由な私達にもルールになっていなくても決して
「立場をわきまえる」「立場に外れた行為」をしない
↑これを踏み外してはいけないと思っています。

この世界には
「無理が通れば道理は引っ込む」と言う言葉があります。
意味は「筋の通らない無理が通用するような世の中では、 正しい道理は行われなくなる」
と言う意味です。

少し前に呟いた事ですが
「その昔、遊園地でのコスプレイベントでは
コスプレイヤーは入場料無料、乗り物も無料で乗れた時代があった」
と、書いた事がありました。

それは、運営サイトが遊園地側に
「コスプレはファン表現であり
ファンとは元になる作品や同じ作品が好きな人を大切にする人であり
ルールになっていなくても「立場をわきまえ」決して「立場に外れた行為」をしない」
と主張し、参加するコスプレイヤーの大半は上記の事を守ってくれたので
「その回数により信用が構築され結果的にコスプレイヤーを
入場無料、乗り物無料にしても遊園地側にそれ以上の利になると判断されて歓迎された」のです。
「道理:物事の筋道。「道理にかなう」
道理を掲げ筋道を通せば信用と信頼を得ることが出来るのです。

私が関わったコスプレイベントでは
イベント終了後は終了アナウンスあると拍手がおこり
スタッフではない参加者の方々も最後まで残って
テントなどの撤去や後片付けにも参加してくれたりで
参加者意識が強くそうした光景も園の人達もちゃんと見ていて
なぜそのような事が出来るのか?起こり得るのか?と感心していたものです。

現代でこれを行えるか?
と、なると難しいと思います。

何故ならば例えば
「コスプレとは何か?」と質問したとして返ってくる答えはたぶん現代ではバラバラでしょう
コスチュームプレイとはもともとの名称は同人イベント発祥のものではありません
名だけを追えば(コスチューム=衣装)(プレイ=遊ぶ・演奏する等)ですし
「趣味」となれば個人的な道楽であり
それ故に「やった者勝ち」的な人が多数出てくるのも自然の流れ

何度か日記に書いた「何が」「どうして」「こうなった」の人の思考の流れの理りの内です。

コスプレが同人イベントから離れ
コスプレがファン表現で無くなった先は
「立場をわきまえる」「立場に外れた行為を決してしない」をしなくても良い
自らにブレーキをかけなくても良い自由を手に入れた世界が拓けた訳です。

「無理が通れば道理は引っ込む」
「コスプレとは何か?」その答えが多くの方がファン表現で
統一されたものでなくなった時点で私の主張する道理は引っ込みます。
ファンならその立場上守るべきものがあっても
趣味なら別に守らなくても個々の自分ルールに従えばいいのですから

私達は自由を求め個々が自由になった分だけ不自由になったのではないでしょうか?

これも、こうした事が肥大化する前にもっと早く動いていたら
違う未来があったのではないかと思う事もあります。
「皆それほど愚かではない」「きっと気がついてくれる」「誰かがやってくれる」
と黙認し続けて収まる所に納まった結果だと思っています。

私の同世代の引退したレイヤーは
口々に「参加者のマナーが低下したので行きたくなくなった」と言います。
驚いた事に次の世代の引退したレイヤーも「参加者のマナーが低下したので行きたくなくなった」
と、同じ台詞を言ってます。

「昔は良かった…」
私は↑この台詞を未来を否定する言葉だとは思っていません
人生とは重要な選択肢の連続です。
でも、いつも正しい選択をして居るとは限りません
昔を美化しないでちゃんと昔と今とで見比べて
「過去に出来て届いた事」で今では出来なくて届かなくなった事でも
ちゃんとそれを受け入れ認め反省して分析して方向を修正し
再構築出来ればもっと良い未来が構築出来ると信じています。
「過去に出来て届いた事」は幻でも何でもなく実現し実在した事なのですから
現代と未来はもっと先へ進歩と進化が出来る筈なのです。

私の視点から見れば現代は
「コスプレとは何か?」その認識が多くの方がファン表現で統一されたもので
無くなっている状態であり
「無理が通って道理が引っ込んでいる状態」
「筋の通らない無理が通用するような世の中では、 正しい道理は行われなくなる」
こんな状態にあると思っています。
(もちろん、私と同じく「ファン表現」と思っている人も少なくない
今だからこそ私も主張しています。)

「正しい事」と言うのは見る角度や立場で変わるものです。
だから私も私が見える角度と立場から「私の正しいと思う事」を主張してます。

私もコスプレイヤーですから今回はコスプレの話でしていますが
私達の業界で「筋の通らない無理が通用するような妙な事柄が」
さも「これが常識」と言わんばかりにいろいろと広まって来ているのを感じます。

果たしてそれの先は私達が望んでいる未来なのか?
そして、「筋の通らない無理」が未来永劫続くものなのか?
「私達の常識」と言う物が明るみに出た時にそれは明るみで通用する常識なのか?
考えて欲しい

「無理が通れば道理は引っ込む」は実在し
「無理も通れば道理になる」と言う言葉もあります。
意味は
「理屈に合わないことでも強引に押し通してしまえば、
それが正しいことのように通用してしまうということ。」

私はこの状態を「理不尽」と呼んでます。
それには信用も信頼もうまれません

人は信用も信頼も出来ない物が目の前にある時どうすると思います?
私の知る限りでは排除か隔離かルールで縛るです。

と、ここまで書いて
では、過去のコスプレイヤーに「コスプレとは何か?」と聞いて
「ファン表現」と明確に答えられた人はそう居ないと思います。
私は「ただ、言葉に出来なかった」だけと思っています。
言葉に出来なかっただけで「心の奥にはそう言うものを持っていた」
そう思っています。
だから、そう言うのを持っている人は
ルールが定めらていない野外撮影に出ても衣装を着たらわきまえていた人が多く
「ファンとしてそれでいいのか?」と言う言葉はちゃんと届いていたと感じています。

コスプレと仮装の明確なライン
私はそれはファン表現であるか?そうでないか?の違いだと思っています。
だから過去は作品も知らないのに衣装を着て居る人を
「着ただけレイヤー」と言ったのだと思います。
人によっては「作品愛があるかないか」とも言いますね

現代では作品のファンであっても
衣装を着ているだけでウィッグも被らないメイクもしない人を
「着ただけレイヤー」と言うそうですね
ここに、コスプレと仮装の明確な違いはあるのでしょうか?
こうした方向に時代が傾いているから私は発言するのです。

一般の方を含む多くの人がコスプレと仮装のラインを明確に持つ時代が来たならば
例えば野球のバットで暴行事件があったとしても
野球をやっている人が非難されることも無いように
仮装している人が何かしらの事件を起こしたとしても
「衣装を悪用された」と思うだけで騒ぎにも話題にもならないと思います。

「コスプレとはファン表現でありファンとはファンとしての立場をわきまえる人達」
多くの人がそう認識する、私が目指したい理想の世界です。

自由の裏には責任がある
逆に言えば「責任を果たせばそれだけの自由を得る」と言うことです。
学生であればその本分である成績をちゃんと取れば
「勉強しろ」と言われなくなるし束縛されなくなります。
家長であればちゃんと家計がやりくり出来る収入を納めていれば
たまの休みにゴロゴロしていても文句はそうは言われなくなると言うことです。

今回の私のお話を理解し共感した方は
供に進みましょう
道理とは筋道です。筋道を示し道が見えたならそれはベクトル(方向性)となり
皆と供に進む事は充分出来ると思っています。
「私達はファンとして一次製作物の可能性の追求を創作している」
その本当の自由を手に入れるために

コミケも小さな教室程度の箱から始まり
皆で切り開いてここまで大きくなったのですから

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

2016年04月27日 21:00
コスプレは、「キャラクターになりきること」ですね。
でも、シャーのキャラは有りですか?
閣下
2016年04月28日 15:51
私的には同人イベント発祥のコスプレは「自分の好きだという気持ちを全身を使って表現するもの」と思っています。
ただ、キャラは原作者からお借りしているものなので
「作者の気持ちを考える」と言うのがファンとしてわきまえる部分だと思っています。
作者にとってキャラは自分の子供のようなものですし
もしも、自分が作者だったらどこまで許せて
どういう事は許せないか?とかですね

コスプレは著作侵害をしているわけですが
著作法は申告制なので
作者は「営利を目的とせずにファンが内々でやっている事だから」と黙認して頂いている状態で行っているものなのですから。

この記事へのトラックバック