トワイライトの店長「風立ちぬ」を語る

先日、つぶやいた内容ですが
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英国一家日本を食す」第二話觀ました。
天ぷらにケチャップ、
どんな食べ方をしようとそれは人の自由だし
「味の好み」と言う点は「人の好みであり人それぞれ」
しかしながらこの天ぷらを作ったご主人は衣を作るまでに10年の修業をしたと言う
「魚の知識」「季節」等などだけど知識だけで10年も必要なのであろうか?
そうでは無い、「食材の声を聞く」

食材も生き物であり同じナスでも魚でもエビでもある種のパターンはあれど
一つ一つ違うのであり、その食材を見て触れて
当日の気温や湿気、時間、食べる人の体調などを考え
その時に最も適した調理方法(包丁での切り込みの深さや角度)
そうした職人の経験則と技法がもりこまれている芸術でもあります。

そうして盛り込まれた技法は食べる側も意識して受け取らなければ
見逃したり違いが解らなかったりします。
「天ぷらは天ぷらでしょどれ食べても同じっしょ」
と、なるかどうかの違い。食べる人には調理場の厨房の解らなくても良い事だけど、
解らないともったいないと、私は思う。

私が調理師専門学校に通っていた頃、
フランスのシェフが「日本料理なんて切って載せただけなんて料理じゃない
」料理とは「食材を美味しく食す為に加工する技術の事」と言ってました。

しかしながら、日本料理は「食材の本来持っている味をどこまで引き出せるか?」と言う技法、
私はアニメーションの「絵に命を吹き込む技法」と精通する所があると思います。

「食べるだけでその食材が育った風景が見える味」味わってみたいものです。

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これらを踏まえて
私には「風立ちぬ」がどのように見えていたか?

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そんなお話です。

実在の人物である堀越二郎をモデルに、その半生を描いた作品で
たぶん、お話のテーマは「人の命の時間には限りがあり1分1秒を大切に一生懸命生きましょう」
と言うものであったと思います。

話の内容的には都市伝説や色々な事が言われていますが
正直私にはそういう事はどうでもよくて

私のお話は「宮崎先生がこの作品で何を描いたか?」
と言う単純なものです。

まぁズバリ言えばこの作品で宮崎先生は「風」を描いたのだと思います。

随分前に宮崎先生の「アニメーションの魅力を語る」と言うインタビューで
宮崎先生は風というのは「玉であり球体」とコメントしたことがあります。
例えば旗ですがそれがたなびくシーンを想像して頂きたい

パタパタとたなびく旗に大小の球体が布部分をを撫でて抜けて行くシーンを想像してみてください

そういう事を想像しながら実写では無くアニメ表現として
旗がたなびくシーンを描いているわけですね

それは、時代を超えて宮崎先生が進化させ続けながら表現してきた部分
ハイジのスカートからハウルの動く城でどのくらいスカートなど布部分が
風の影響を受けてたなびくようになったか見比べてみるのも面白いですよ

通常、マンガ表現やアニメ表現では風は斜線などの線で表現されてきました。

しかしながら「風立ちぬ」では風を線で表現した部分は一切ありません
それどころか風を描いていません

風を描かずに風を表現する
それはどういうことなのか?

風立ちぬの予告編だけでもすごく表現されていますよ(^^)

https://www.youtube.com/watch?v=lKsauOY2EAo
↑風立ちぬ 予告編

見えない風は見えましたか?(*´艸`*)
そこだけでは無いのですが

主に絶賛は紙飛行機のシーンですね
低空と上空で吹いている風の方向が違って温度も違う
その風をどのように切って風に乗って飛行機が飛んでいるのか?
感じ取れましたか?

実に見事な表現です。

今まで宮崎先生は「トトロ、ラピュタ、ナウシカ、紅の豚、等など」実在しない世界ばかり表現してきており
その実在しない世界にリアリティを描くことでその世界に生命を吹き込んで来ました。
ですので人の伝記を宮崎先生が描くとはどういうことだろう?と思っていました。

今までの宮崎先生の風の表現の集大成はここにある!
そう感じたので引退宣言も納得しました(次回作の思い出のマーニーもやるそうですがw)

宮崎作品は「見るだけではなく五感で感じて欲しい」そんな日本が誇る最高峰のアニメーションです。

はい、今回のお話はここまで(^^)
もしも、今回のお話で「風立ちぬ」をもう一度觀てみたい
とか、思ってくれたなら幸いです(*´艸`*)

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最後に、他のインタビューで
宮崎先生は引退を考えるようになったのは
「今の人達の顔が見えなくなってきた」と述べていました。

それは上記の料理人のお話の項目にある
食べる人の姿が見えなくなった
と言うことと等しいと思います。

作り手として表現者として
「誰かに向けて表現している物がその誰かの姿が見えなくなると表現出来なくなる」と言う事になります。

これは少女漫画でもそうですが
少女漫画家は年齢を重ねると新人としてデビュー出来なくなります。
若い方の感性についていけなくなるからだそうです。
いわゆる、「何を求められているのか解らなくなりプロとして表現出来なくなる」と言う事です。
もちろん、営利を目的としない同人活動などならば
自分の世界を表現し続ければ良いのですが
商業ベースとなると別になるということ

そのインタビューの最後に宮座先生は
「ちゃんと受け止めてくれるお客さんに出会いたいと思って作ってる」
とこう述べていました。

これも上記の料理の話と精通してる部分で
料理人がそこまで考えて作ってるものも
食べる側が意識して食べないと解らない部分です。

皆が皆そうあれ、と言うものではなく
オタクは消費者でありファンであり探求者であり研究者であるならば
そうした部分をちゃんと受け止めて評価し支える存在であると
私は思っています。

海外ではオタクと言う言葉は「○○マスター(極めし者)」と同等の意味を持ち
尊敬され評価されているそうです。

「オタクがオタクであることに誇りを持てる」そんな社会にするには
こうした事を踏まえれば可能だと思うし
そしてコレからの人達が好きな物を好きと言っただけで
犯罪者か売春婦でも見るような社会では無く

堂々と公言出来て何かが好きってこととそんな自分自身をを誇りに思える
そんな社会になって欲しいと思っています。

喫茶トワイライトからのお知らせ②

4月から日曜のみのオープンと宣言しましたが
友人等とも色々と話し合い、悩み考えた結果、

新しい仕事を変えて喫茶トワイライトがちゃんとオープン出来る働き口を探すことにしました。

暫くは厳しい状態になるかもですが一応6日の月曜に面接の予定です。

取り敢えず、
喫茶トワイライトはまだ暫く今までどおり
木、金、土、日15時~22時でオープン予定、

木曜はゲームデー土曜は鍋パ、今週、日曜(5日)はカラオケ大会の予定です。

今回の面接に受からなくても次々に探していく所存です。

なにとぞ応援のほどよろしくお願い致します。

お知らせ

経営がうまく行っていない為、
4月から別の場所で働くことになりました。
休日や仕事から帰って来てトワイライトがオープン出来るかどうか
私の体力的にも実際に働いてみないと解りません。

なにぶん、独り身で全てを私一人でやっていますので
ご了承いただければ幸いです。

今の所、4月より日曜だけオープンして行く予定にしています。
働き始めて仕事先での労働に慣れ始め
体力的に行けるようであれば
土曜、木曜と仕事から帰って来てから
オープン出来る日を増やしていきたいと思っています。




もしも、もしもこれにより喫茶トワイライトが閉店になる事があっても
私はコミケットの理念と喫茶トワイライトを通じて
多くの方に伝えようとしていた活動は続けていくつもりです。


私の経営手腕が至らないばかりに
ご愛用して頂いていた方々にはご迷惑をお掛けして
大変申し訳なく思っています。


どんな形になろうと
私も夢を諦めたりしないつもりです。

もしも、喫茶トワイライトが閉店になったとしても
私はまたどこかでアクセスの仕方を変えて
同じ夢を追い続けていると思っていて下さい。



取り敢えず、まだ閉店はいたしません
結果的には「私の趣味の店」と言う事になりますが
趣味の店なら趣味の店らしく
まずは、4月から日曜日のみのオープンという形で
再出発する所存です。


ですのでまた規模縮小という形になってしまいますが
今後共、応援よろしくお願い致しますね。

「サブカルチャー文化とお金儲け」について

サブカルチャー文化とお金儲け」について
消費者へ
「踊るな」とは言いません、「踊らされるな」とは言います。
それがどう言う物か解った上で踊るのであれば
それは自分の意思です。
その場合は「踊らされてるのでは無く自分の意思で踊っている」のです。

踊らせようとする相手も全てが悪とは限りません
解った上であえて踊るのなら大丈夫です。

誰かの人生を送っているのでは無く
自分の人生です。
誰かの意見に自分の人生を委ねないで下さい

自由を欲するのなら
自由の裏には責任がある事を忘れないで欲しい
その責任とは自己責任

自分の人生への責任と言うことです。

人は思考する生き物です。
思考を止めるとは人としての人生の死に等しい

思考を止めるな 生きることを諦めるな

勇者とは魔王やドラゴンを倒すから勇者ではなく
魔王やドラゴンに立ち向かう勇気を持つ者の事

サブカルチャー文化とお金儲け

私もお店をしているといろんな人がお店に来ます。
中にはこうしたコスプレなどを題材にして一儲けしないか?
と話を持ちかける人も居ました。

私も「お金儲け=悪」とは思っていません
ですが、商売とはそのマーケットを育てることと思います。
この話をその話を持ちかけた人を「Aさん」とします。
そのAさんにその話をすると
Aさんは「マーケットは育ってるじゃないですか!」と
答えて来ました。

違います。
私が言うマーケットを育てるとは永続的なものであり
育ったマーケットを食いつぶすものではありません

私は私が好きな文化を私自身の手で食いつぶして失ってしまう行為をいたしません!

ビジネスにはこんな言葉があります。
「客が求めるものを与えればビジネスは成り立つ」
言い換えれば
「需要と供給のバランスでビジネスは成り立つ」
と言うことですね

視点を変えれば
「需要」が存在するマーケットをみつけて
そこに適切な商品を「供給」してあげればいい。

と言う事です。
Aさんから見れば肥えたマーケットに見えたのかもしれません
自分の懐が膨らめば後はどうなってもかまわないのでしょう。
そして狩り尽くしてしまえば次のマーケットを探しに行く

それを、間違ってるとは言いません
上記のことはビジネスの基礎ですから
普通の人がそう考えるのは当然のことと私も考えます。
需要があればそれはビジネスチャンスなのですから

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はい、では経済大国第一位のアメリカの三大金持ちってご存知でしょうか?
まぁこれは数年前の私が知ってることなので
今は変わっているかもしれません
とりま
一位 ファーストフード関係
二位 ダイエット、健康食品&グッズ関係
三位 医者

であります。
この1位~3位には繋がりがあります。
どう繋がるかと言うと

ファーストフード等の食品により
栄養高で肥満になる
     ↓
不健康になりダイエットや健康食品や
運動器具が売れる
     ↓
不健康になった人が通院する
胃のバイパス手術をする

こうしたスパイラルが出来ている上に
このスパイラルは人が意図的に作り出したものなのですよね

しかも、この手法は
「需要」が存在するマーケットをみつけた訳ではなく
作り出された需要なのです。

ですから皆さん、
「ファーストフード好きですよね」
「健康が気になりますよね」
「痩せたいと思ってますよね」

そう思うように仕組まれて
そのように誘導されているのですから当然です。
ひどく悪い言い方をすれば
「私達はこうした人達に飼いならされている(踊らされている)」と言うことです。


それでも我々は抗うことが出来ず
その社会の歯車の中で生きています。

なぜ抗えないか?
上記の三大職業はお金を持っていて力を持っているからです。
自身の商品は安くて美味しいとは言いますが
不健康になるので食べるのは控えましょうとは言いません

そして彼らは人の欲を満たしてあげているだけなのですから

悪魔は人の欲を満たし堕落させ
神は試練を与え人の成長を促す
悪魔も地獄も神が作ったものであるなら
どちらも必要だから作りたもうた

ならば後は我々(消費者)がどうあるか?
なのですよね



ある意味、私が上記で書いた
「マーケットを育てるとは永続的なもの」と言うのが確立はしています。
ですが私が目指したいのはこういうものじゃない


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さて、話変わって
日本の緑は人が世話をしないと7割枯れてなくなってしまうそうです。
ですから自然な自然と言うのは殆ど無いそうです。

視点を変えてみてみましょう。

見方を変えれば日本人はそれだけ自然のサイクルを理解しているから
コントロール出来るとも取れます。

日本の農林技術はこれまた世界のトップレベルであり
そうした意味で私は日本人は
「自然と共存する」と言うことにとても長けた民族だと思っています。

こうした技術の応用で砂漠を緑に変えたりしてる人達もいるんですよね


●人は金の為に森林を伐採して砂漠を作る
●砂漠を緑に変えるのはボランティアの力
「インドの砂漠を緑に変えた グリーンファーザー 杉山龍丸」
https://www.youtube.com/watch?v=IP5Tjt4hyd0

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私が理想としたいのは
例えるなら
「砂漠を緑に変える事をボランティアでは無くビジネスに出来ないか?」
と言うこと

先の未来でどちらが豊かになるか?と解っていても
目先で豊かになれないのならば人はなかなか動くことは出来ません

私の所には
●お店を出してみたい
●イベントをひらいてみたい
こうしたお話を持ちかける人は少なくなく
私がこうした人達に必ず問う事は
「それをやる事で最終的に何をしたいのか?」と言うこと問います。

自覚はあるにしろ無いにしろ
「膨れたマーケットを食い潰してお金儲けをしたい」
で、あるなら20年そこらで食い尽くしてしまうでしょう。
メイド喫茶もどんどん無くなっていますよね
私から見れば森林伐採と同じに見えます。


同人誌即売会は二次創作とはいえ
「好きから産み出す物作り」の世界です。
「思いを形にする」これに始まりますが
「好きこそ物の上手なれ」こうしたことわざもありますように
「何事によらず,好きであれば自然それに熱中するので,上達する。」
(コスプレでもなんでも私達のこうした部分を直に垣間見た人は
実感してるのではないでしょうか?)
作品を作る事により学び
人に見られるように手にとって貰える様に工夫したり
若者たちが自分達で経験し自分達で考え切磋琢磨して、創意工夫しています。

そうした「学びの場」であり
こうした経験はちゃんと活かせれば
社会に出た時、世界に出た時
その人の人生を大きく手助けするものとなります。

言うなれば
資源の無い我が国日本が物作りでその経済を支えているのであれば
その源泉となりうる場所なのです。

日本と同じくほぼ同じ国土で資源の無い国が
我が国民こそが国の財産と優秀な人材を育てようと
国策として国の予算を削って教育していたりする国もあるのですが

私から見れば
私達の国は国の予算を使わずともそう言う場を持っている
そう思っています。

教育とは何か?
真の教育とは「人つくり」であり数字では無く
今の私達の学校教育で足りない部分を埋めている場所だと思っています。

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だから、「作り出す」私達の世界で

ビジネスの「客が求めるものを与えればビジネスは成り立つ」が

先も考えずになんでもかんでも与えれば
「無いから作ろう!」が「あるから作らない」「作らないから考えない」
↑こうなっていくのです。

人は楽な事があれば楽な方に流れていく生き物ですから。

【育む】と言う言葉を考えて欲しい
【大事に守って発展させる。】

「親」と言う字は
「立って見る木」と書きます。

チャンスを与え、環境を与え、
その子達がそこで自分で考えて自分で立って自分の足で未来を歩き進めるように

子供の遊び場で
私達大人が手を出して良い場所とそうで無い場所を
見極める必要があるのではないでしょうか?

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サブカルチャー文化でお金儲け
私はこれを否定はしません

ただし、それはザブカルチャー文化がどういう物であるという事を
理解した上で
「その発展を担う物」でなければ「砂漠化する」
と言うことを忘れてはいけません

「それをやる事で最終的に何をしたいのか?」
20年後30年後先のビジョンはあるか?
目先の事に捕らわれ「やりたかった事を見失ってないか?」
大事なことです。

気がつけば
振り返れば「砂漠になっていた」
こうなったときは後悔してももう遅いのですから…

恋愛について…そして

今回の話は
あくまで「私(閣下)の恋愛観」のお話しです。
恋愛観なんてものはそれぞれが個々にそれぞれの恋愛観を持っていれば良い物だと思いますし
「こうでなくてはならない!」と言った
「皆に共通する恋愛観など存在しない」と言うのが、まず私の前提の考えであります。


私はよく
「一般人は無理ー!」
と言います。
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相手が無理なんじゃ無くて相手が受け入れたとしても私が無理って事です(^_^;)

何故ならば
オタクは成るものじゃなくて在るものとすれば
それはそうした存在でなければ本当の意味では理解出来ない
私達の世界にいる人なら一緒に生活している家族や
親族にも理解して貰えない人も居るのではないでしょうか?
理解しなくても許してくれている人も居るでしょう。
その辺りでも大丈夫な人は一般の方でも問題無いと思います。

でも、私の場合は私が求めるのは私への理解者です。
そして理解して欲しいからその相手の一番の理解者でありたい
理解出来ないでも一緒に暮らさなきゃいけない
もしもそんな環境で
同じ屋根の下でお互いのことを無視して生活するくらいなら
一緒にならない方がマシと私は考えます。

人と人には距離感というものがあって
たまに会って遊びに行く程度なら問題なくても
一緒に生活するとなるとまた別の話
学生時代にこいつは魂の双子じゃないか?と思う親友(男)と訳あって
一緒に生活することがありましたが
学校で会ったり遊びに行ったりではとにかくウマがあったのですが
一緒に生活してみると歯車が合わず
もう、歯を磨いてる姿を見るだけでもイライラしてしまう始末(-_-;)

こんな話があります
男女で学生時代から親友同士で
たまたま、お互いにフリーになったので試しに付き合ってみると
3ヶ月も持たなかった

これは親友という距離感がお互いに丁度良く
恋人という距離感では歯車が合わない
そういうことも人と人ではあるということです。

ですので私は案外知り合ってから告白するのは早い方です。
出会ったその日に告白することもあります。
まぁ余程ウマが合えばの話ですがw

お互いのことをもっとよく知ってから…
と、よく聞きますが
まず、友達と恋人では距離感が違う
恋人になら許せることでも友達では許せない事もあります。

私にとってお付き合いする時間とは
結婚を前提として生涯を一緒に過ごすことが出来るパートナーであるか?
それを知るための時間だと思っています。

だから、「もしかして」と思う相手とは出来るだけ早くそうした関係になった方がいい
それは「相手をよく知る為の時間」なのだから
何故ならばつきあう前に相手を知るための時間をかけた分だけ失恋の傷も深くなる。
傷が深いと立ち直るのにも時間がかかる。
人と深く長く繋がると恋愛感情とは別に「情」という感情も芽生えるからです。
「情」は判断を惑わせる事があります。

告白するのが早くてもその相手にはいつも私は真剣であります。
だって、自分にとっても相手にとっても
結婚を前提とする限り残りの人生を全てかけるお話ですからね。


結婚を前提としないお付き合いとは何か?
愛し合ってるから、好きだから
そう答える人もいますが私には理解し難い
私には自分のエゴで相手の貴重な時間を奪い浪費しているように見えます。

男性はともかく女性には結婚適齢期と言うものがあります。
要は子を産み育てられる期間です。

自分の理解者を求めるだけなら親友や友人でも構いません
結婚との違いはそこに家族になる子供を作るそうした絆を築くことだと思っています。

その昔、母と昔付き合っていた彼女が喧嘩しました
言ってることは母が正しい
しかしながら今すぐそれを彼女が知る必要もない
そんな問題でしたが両方に泣き付かれて板挟みだったのを
当時、漫画家のアシに行っていたので人生の先輩である先生に相談に乗ってもらいました

先生はこう答えました
「例え間違っていても彼女の味方をしてあげなさい。
親は喧嘩して別れても親は親、それが血の絆
でも、彼女は喧嘩して別れたら他人になってしまう」

そういう事です。
思い返せば、私の親もほぼ駆け落ちで恋愛結婚したのですが
何度も離婚の危機があり
子供の頃、母に着いて行くか父に着いて行くかと何度か聞かれたことがあり
私は出来ることなら2人共一緒にいて欲しいと答えた
後には何度も別れようと思ったけどお前たちが居たから
別れずに済んだ、思い止まれた
そう話してくれていました。

我が人生において最大の幸福は両親の愛だけは沢山貰えたことだと思います。

幽霊や宇宙人を信じない人に何故信じないか聞けば
「見た事ないから」と答える人は多いです。
でも、そんな人達でも「愛」や「友情」は信じると言う人は多いです。
愛や友情も眼には見えないのにねw

幸い私は愛を沢山貰ったのでそれがなにか解ります。
愛は育てるものであり信じるもの
信じるというのは知ることであり知っているから信じられる

だから自分の子供も両親の愛一杯で育てたい
子供に愛を信じさせてあげたい


私は最善が選べない時、次の選択肢は次善ではありません
最善が選べない時の次の選択肢は
「最悪を回避する」選択をする人です。

この場合の私にとっての最善は最高のパートナーと家庭を築く事ですが
最悪とは両親の愛の無い状態で子供を作ってしまう事
ならば、最悪の結果になるくらいなら
生涯独身の方がまだマシだ!と考えています。


私達の世界は子供の頃にそうした傷を抱えてる人も少なくありません
今まで何度かそう言う事を言って来ました。

私の経験則では何かしらの家庭的問題が発生し
それを受けた子供は不良になるかオタクになるか?
その確率が高くなるからです。

そして、親を憎み成長するに連れてその憎んだ親に似てくる自分を嫌悪し
自分の子供にも自分が体験した幼少期を与えてしまうのではないかと恐怖します。

下記はそのイベント会場に来る傷を抱えた人が
具体的にどんな人か?
そういう事がコスプレイヤーの心の闇と言うタイトルでUPされてました。

http://aramame.doorblog.jp/archives/43008406.html
【閲覧注意】コスプレイヤーの心の闇が深い件…(※画像あり)

これは、コスプレイヤーに限った事ではありません
そしてこういう人は案外そういう事は隠しているので
イベント会場に行ってもそうそう気が付かなかったりします。

上記の記事ではレイヤーは露出してるから見えた
そんな感じでしょうか
私も今までイベント会場でリスカする人や拒食症になった人
そうした人を沢山見てきました。
見えてしまった気が付いてしまった

それは私も同じような闇を抱えていたから、と言うのと
たぶん、同好の士と仲間意識がお互いの距離感を積めたからと
言うのがあったと思っています。

視覚的な闇の部分以外は当人は隠しているので
気を許した人くらいにしかそうそう見せませんからね
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そういう人達は愛に飢えている訳であり
隠していますが深層心理では
誰かに気が付いて欲しい
誰かに救って欲しい

表面上は突っ張っていても本当は救済を求めていたりします。
そんな人は
抱きしめてあげなきゃいけないし
自分が抱きしめられない相手なら抱きしめてあげられる人を見つけて
引き合わせてあげないといけないと思っています。

だからチャットとかじゃなくて同好の士は私達は直接会わなければいけない

前回の日記に書いた
「同人誌即売会は人の善意が寄り添って行われる場所」なら
そうした人達を救える可能性を持った場所なのです。

何故ならば、「私がその場で救われた人の一人だからです。」

「人の善意と言うものはそれも大きな愛の一部なのですから」


救われたから救いたい
恩を受けたのなら返したい

「そこに携わる人達の喜ぶ顔が見たくて毎回参加している」
↑NHKの「知られざるコミケの世界」の開業医さんの台詞ですが
その喜ぶ顔というのはいろんな事も含めながら
そうした傷を持った人がこの場で救われて
その人の「本当の笑顔が見たくて」と言うことも含んでいるのだと
私は思います。

人が一人の人間を救うにはものすごくエネルギーと覚悟を必要とします。
だから、私も全ての人を救う事は出来ない
それでも、人と人は引き合わせる事は出来る

そして私も全身全霊をかけて
私だけが救わなければならないただ一人の人を探しています。



イベント会場はナンパする場所では無い

それでも、私は自分のパートナーは同行の士である者と思っています。
それをナンパと毛嫌いするのならそれで結構です。
私は私で真剣です。

私は遊ぶつもりでは無く
全身全霊をかけて
私だけが救わなければならない
私が抱きしめてあげなければいけないただ一人の人を探しているだけです。
(遊び目的ならお金払って性風俗に行きます!)


女性になら誰にでも

はい、誰にでもかもしれません
ただ、私は私が全身全霊をかけて
私だけが救わなければならない
私が抱きしめてあげなければいけないただ一人の人を探す為に
ノックをしてるに過ぎません

ノックの時点で拒絶する方は私が救える相手ではありません
人は誰も「救いを求められない相手は救えない」のです。
何故なら「救いを求めない相手には絶対に心は開かない」からです。


好きな相手にモーレツアタックしても
アタックしている相手にその気が無ければ
ストーカーとか言われるし
ただし、「イケメンに限る」と言う言葉があるように
同じ行動をとっても
その行動する相手によって印象が大きく変わると言うこと

例えば電柱の陰から見つめられた場合
気がある相手:見守られてる
気が無い相手:ストーカーされてる

と、言う違いになると言う事ですね(^_^;)

女性の怖い所は
その印象で周囲の人に正当性を求める所で
「○○君ってばこう言う行動するんだけどどう思う?」

これが上記の
「○○君にストーカーされてるんだけどどう思う?」
に、なると大抵の場合
友達だったり身近な人なら相談した人の味方になろうとするので
相談した人の援護的な回答をするでしょう。

恋をしてる時は普通じゃ無い
普通じゃ無い行動は時に特別良くも悪くも見えるものです。

「普通じゃない=一般的では無い=悪」
こうなりがちなのですよね。


人は男でも女でも
好きでも無い人に触れられるのは嫌います。
旧エヴァの劇場版のラストで
アスカの首をシンジが絞めてその後
アスカの第一声は「気持ち悪い」でした。
人と人の接触の始まりは拒絶であり
傷や闇を抱えている人なら尚の事です。

私達はこんな世界に生れ落ち
こんな世界で生きていかねばなりません
拒絶は始まりでありますがその先は絶望であり
救いには拒絶と相反した抱擁が必要であり
抱擁は救いであり希望です。



最近は綺麗なレイヤーさんが露出して表に出るようになって
ナンパスポットとして雑誌にも紹介されたりしてるようです。
ですがもしも深くかかわるのであれば

闇も傷も全て包みこむ覚悟を持ってください

その覚悟が無いのであれば
私達は私達の闇や傷で他者を巻き込んで傷つけてしまうからです。
(だから基本的に隠すのです。)


私も闇を持ちゆがんでしまった人間です。
だから同じようにゆがんでしまった人しか合わないと思っています。
だけど、同じようにゆがまないと
同じものを見たときに同じに見えなくなる


シベリアに住むキツネはね、
普段は単独行動をしてるんだ。
あの広い広い大地でね、
キツネが出会えるメスなんかめったにいなくて、
出会えたメスは、彼にとっては一生のうちで ただ一人のメスなんだよ。
本当の自分は女の子を選べるような立場じゃないから、それがわかる。


今回の話も解らない人は解らなくても良いと思っています。
私も万人に理解して頂こうとは思っていません
私は私の話が理解出来る、
共感出来る人へ向けてのメッセージのつもりで書いています。

私がよく話しかける人は
そうした闇や傷を持っている人が多いです。
過去になんとか救ってあげたかった人が
2chで叩かれ鬱病になってしまいイベントに来なくなってしまいました。

救いを求めた場所で叩かれ鬱病になってしまった
さぞ辛かったと思います。

人の心があるなら情報を操作して大きな力を手に入れた気にならないでください
力を持つ者はその力の責任を持って下さい
力は皆へ良き方向へ向かわせれば必ず自分にも戻ってきます。

人は皆、納まるべき所に納まるべきであり
人は皆、救われるべき存在であるべきだと私は思います。

私も納まるべき場所を探しています。
そして、そのパートナーが見つかれば
一緒に世界に飛び出して同じ景色と同じ未来を共に見ていきたいと思っています。

弱虫ペダルにハマってる人に

「弱虫ペダル」にハマってる人にお勧めしたい漫画があります。
その漫画の名は「シャカリキ」
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「め組の大吾」作者の「曽田正人」先生が
「弱虫ペダル」より「め組の大吾」よりも先に書かれた作品で
とても熱い作品ですよ。カテゴリー的にはロードレースものとなりますが私から言えば「坂バカ」ものですw

一応、実写映画化したんですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=fNbfWNHebnU

その昔、オタクと言う名称が無かった頃は
「○○馬鹿」って言ったのですよね。

「巨人の星」なら「星飛雄馬」は「野球馬鹿」のようにね。
「馬鹿正直」「馬鹿一直線」

失敗が許されず小利口に生きて行く社会からこう言う人を見ると危なかしくも人間らしく爽快であります。

普通じゃ無いから何か出来る
何かにハマって一生懸命の人の姿って美しいと思います

1/18福岡ドームでの同人誌即売会で思ったこと

今回ドームに参加して思ったことは

参加サークルが随分減ってた、
いつの間にかドームは服飾・雑貨は2スペース必須になっていて
一見サークルが減ったようには見えなかったのね
コスプレブースが広いということはそれだけ参加サークルが少ないとも言えるわけです。

そして、
前に、コスには興味あるけどサークルには興味無いって言ってた人がサークル出してました。
ドームは混雑するし時間短いし
撮影に向いてないから行かないって言ってた人がドームに来てました。

原点回帰、結局そこの住民なら戻ってくる場所なのだから守っていかなくちゃね
今回、速報で上がって来た殆どの写真はお友達のとの記念撮影的なものが多く
見ていて微笑ましく思っていました。

NHKの「知られざるコミケの世界」
これを見られた方はご存知と思いますが
そこに写っている方々が「同好の士」とか「仲間の為」とか「同窓会みたいなもの」
こうした台詞がそこに携わる方々のコメントにあったのですが
その中のコミケットの中にある救護室の開業医さんのコメントに
「遊び場というのは守らないと無くなってしまう」
「そこに携わる人達の喜ぶ顔が見たくて毎回参加している」
このようにコメントしております。

そしてこう言う人達の殆どは「ボランティア」でスタッフになって活動しているのですよね

同人誌即売会の基礎は「人の善意」が寄り添って行われる場所です。

私も今回のドームである方々から
閣下も考えすぎないでもっと楽しんだら?と言われました。

もちろん私としても普通に仕事して普通の給金を頂き
その中で毎月、同人誌即売会に遊びに行くただの一人の参加者であれば
どれほど楽か?
そう思います。(-_-;)


世界を見て日本を見て
そして同人誌即売会を見て思うことがあります。

中国ではオリンピックの時に整理券を配られましたが
列を守らず客同士で投げ飛ばしあってたりしていました。

これについて某番組で「中国人はどうしてルールを守らないのか?」と言う質問に
「ルールというのはみんなが守って初めて成立する」と答えていました。
はたしてこれは中国人だから起こったことでしょうか?

前にも記載しましたが
こちらに目を通していただきたい

https://www.youtube.com/watch?v=gVPy5D_QnhM#t=411
「↑日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう
元名古屋グランパスエイト監督アーセン・ベンゲル」

日本の常識は世界の常識ではない

そしてその日本の中でも
コミケットは3日間でおよそ60万人近い人が出入りする場所でありながら
事故率や怪我による救急車等による搬送等が殆ど無く
入場の列の動画とかもYou TubeなどにUPされたりしますが
とてもスムーズに動きます。

それは、参加する人達がほんのちょっとだけでも
相手や仲間のことそして未来の自分の事を思いやる心が働くだけでいいのです。
(60万人の人が一人一つづつゴミを散らかすのと一つだけ拾ってゴミ箱に捨てる
たったこれだけのことでも60万人の人で行えば大きく違ってしまうということです。
要するに参加する人たちのちょっとした気持ちや心構えで
環境は大きく変える事が出来るということ)

私もおもちゃ博覧会とかでドームに列を作ったことありますが
同人誌即売会の列に比べると規模は同人誌即売会よりも小さいのに割り込みなどマナーも悪く
ボランティアでは無いプロの方々が先導しているはずなのに
非効率でありました。
(不謹慎ではありますが投げ飛ばしあった中国の方々の気持ち解ります。
中国が日本がという事ではなく同じ人間なのだからその環境が人を変えると言う事でしょう)

日本人が知能が高く高尚な民族であり
その存在がその社会が世界から日本を見た時にそれが奇跡であるなら
同人イベントに参加しそこに集まる人達は更に奇跡の存在と言えるでしょう。

それは世界の文明人の見本となれることなのに
今はそれが逆に失われようとしています。

今回のドームの放送で
「盗難、置き引きが大変多くなってきている」と言ってました。
仲間の事を思い合い人の善意が寄り集まって行われ次に参加する時に
また出会うかもしれない。そんな場所でこんな事が多発するのはここ最近のこと
コミケットでは運営スタッフにボランティアで参加する人が年々減ってきていると聞いています。

コミケをやっている時に上がって来る画像でローアングラーと言われる
集団でコスプレイヤーのスカートの下に
カメラを突っ込んで撮影する方々が上がってきたりしますが
数年前まではそうした人達には運営側の
管理スタッフがすぐにやってきて注意とかしていたそうです。

スタッフの人手不足によりそうした人達が居なくなってしまった為に
ある種の無法地帯となり今の惨状になっていると聞きました。

福岡ドームでの同人誌即売会イベント
昔はコミックネットワークとコミックシティーが交互に開催していました。
コミックネットワークが撤退し今はコミックシティだけが開催しています。

私の知り合いのサークルさんの幾つかは福岡での作品の出が悪いので福岡在住なのに
福岡のイベントに参加せず大阪や東京のイベンのに遠征しています。

大手サークルが他県に行く

お目当てのサークルが無いのでイベントに行かなくなる

人が少ないので小規模のサークルも撤退する

サークルが集まらないのでイベントが開けなくなる

コミックシティも企業であれば
赤字が続くようであればドームの撤退はあり得ることであり
それは福岡の地での「福岡ドームクラスの同人誌即売会のイベントが消える」と言う事です。

私達のコスプレが同人誌即売会発症のコスプレであるなら
その根源である同人誌即売会が失われれば
そのエネルギーの元を失うようなものでそれに関連するもの全てが縮小していくことでしょう。

「福岡地域におけるイベントとコスプレの軌跡
 そして撮影機材持ち込み禁止について」
http://www.asahi-net.or.jp/~xj3t-iwng/ibe/kiseki.html

「我々、同人系のコスプレとは?」
http://www.asahi-net.or.jp/~xj3t-iwng/ibe/cosu1.html

地方からの影響でコミケットの開催も困難にならなければいいのですが(-_-;)
管理出来ない状態でローアングラーとか放置が続けば
過去のような報道がまたあるかもしれません

画像


画像


こちらの写真は大げさではなく
当時は本当にオタクというのは社会的にこのように見られていたのです。
ですので多くの方はこうした趣味を隠していました。
それは当然のことだったと思います。

それでも、社会的にこう見られると解っていながら
あえて、アイアムオタクと名乗り
「そうでは無い、自分を見てください私こそがオタクの代表です」
こう声を上げて活動した人達は
誤った負の印象は自らがそこに飛び込み内側から変えていくしか無い
という事を知っていたからです。

例えば世界中の人が日本人は皆、下劣で卑屈な人達だと思い込んでるとしたら
皆がそう見てるならそうなってやろう!では無く
そうでは無いのだ!とちゃんとした姿を多くの日本人が見せていくことが
誤った情報で十把一絡げに見る人達の印象を変えていく手段だと知っていたからです。

ですが容易ではありません
当時は内定が決まった仕事もオタクだとバレると取り消しになったとかよく聞きました。
リスクを背負わなければならなかったのです。

他者の印象とは、
悪い方へは簡単に転げ落ちるけど
良い方へ変えて行くには時間と労力は計り知れない
だが、不可能では無い

それは私達が前例としてそれを行った事実があるのだから

「人は人の善意を裏切らずに寄り添える場所を作り出す事が出来る」
それは知能が高く高尚な文明人の証なのですから…

私達はいや、人類はこの場を失ってはいけない

私はそう思います。

世界は2分する

コスプレイベントは多発しているけど
私は今年は同人誌即売会のイベントに出来るだけ参加したいと思います。

たぶんもうコスオンリーは
参加者の意識レベルでコミケットの派生からのものでは無くなってきている。
そう感じてきています

全員では無いが
コスイベに行く人は余程大きな同人誌即売会でなければ
小規模の同人誌即売会に行っても楽しめないと思うし
違和感や疎外感を感じるんじゃないかな?


逆もしかり

私は同人誌即売会出身のレイヤーです。
同人イベントには同じ作品好きとか交流を求めて行ってます。
それは普段の生活の中では周囲の人とは興味の対象外であったりとかで
話せない内容だったり
同じ作品でも視点の違いによる摩擦が生じたりする事がある訳で
当日初めて合う人でもその部分が合致すれば
随分前から知り合ってたように意気投合したりします。

コスオンリーになれてる人は
私などは初対面なのに近いと感じるかもしれません
それこそが同じような事をしていても
同じ場所にいられない理由となります。

たぶん、言葉や文字でいくら説明しても
それは言葉や文字でしか無く理解出来ないと思います。
言葉や文字でどんなにあの店の料理は美味いと説明しても
理解出来ないのと同じくです。
私が「同士」や「同胞」と言う言葉を多用する意味も解らないでしょう。

理解出来ない時点で住む世界が違う

物事は「何が」「どうして」「こうなった」で繋がります。
同じ著作物を扱うものとして
「何が許せて」「何が許せない」「だからこういうことに気をつけている」
これらの基準が違ってくるのです。

基準が違えば摩擦が生じる

ファンの祭典でありファン表現であったコスプレは無くなる事はないでしょう
でも、今以上に完コス主義とか
そうしたコス差別的なことはエスカレートしていくと予想します。

こんなツイートが流れてきましたが
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
年々露出が激しくなってて、
「コスプレしたいんじゃなくて、
アイドルになれないしビッチにもなり切れない人が
アニメコンテンツを借りてエロい格好して
騙されやすい男オタクにちやほやされるのに悦に入ってるだけじゃん……」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
↑で、あるならそう出来る人の数は限られているわけで
お互いの足を引っ張り合う
そうなれば、コス差別的なことはエスカレートしていくと言うことです。

コミケットの教えでは
多種多様な表現をする場であるから
それぞれの表現を理解、歩み寄る努力をしましょう。
と言うものがありますが

根本的にこのようなものが基礎に無く仮装を始めた人には
コスプレをする理由という根本的なものから違うのですから
理解出来ないと思います。

「何のためにコスプレするのか?」
○○のコスしたい
すればいいじゃないか?
でも○○はマイナーだしやってもぼっちだったら辛いから…やれません

この時点で違うのですよね
○○はマイナーだからこそ自分がコスして
多くの人に知って貰いたい
(知ってもらえて人気が出れば製作者に貢献できる
だって私はファンなのだから)

そんなぼっち覚悟の中で同じコスしてる人が居れば
親近感湧くし「同士よ!」てなるのですよね

同人誌即売会はファンによるアマチュアの集まりのファンの祭典です。
その昔、この世界に企業が絡むと崩壊する言っていた先輩がいました。

コスプレオンリーの主催はその殆どが企業であり
他と差を付けるためにお互いで競争し客にも競争するように煽っています。
参加する人達はその見た目の華やかさで躍らされるでしょう。


同人誌即売会が過去から今日迄廃れなかった大きな理由の一つ
それは「楽しい」を自分たちの手で作り上げて行った日々があるからだと
私は思っています。
それ故にその可能性の芽を潰さないために
「多種多様な表現を認め合う」と言うのが必要だったのです。
ニコ動も人気があったのは
「楽しいを自分達の手で作り出す」部分があったからじゃないでしょうか?

与えられるだけの楽しいはすぐに飽きる
与えられる楽しさしか知らない者はだんだん何も感じなくなっていく…

北九州のように福岡でも何度も企業系でアニメや漫画やゲームのコンテンツで
同じような事を大金かけてやろうとして上手く行かなかったのは
与えすぎて参加する人達が「楽しいを自分達の手で作り出す」部分が
無かったからだと私は見ています。

例えるならプラモデルを作るガンプラが300円で実際
組み立てても出来が悪かったからこそ説明書以上に手を加える部分があったからこそ
世界に一つしか無い自分だけのオリジナルガンプラが存在出来た訳で
それが、もしも同じ値段で素人が手を加えるよりも
出来が良い完成品が販売されたとして
誰が世界に一つしか無い自分だけのオリジナルガンプラを作ろうとするのか?
と言う事です。

こんなツイートも流れてきました
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コス撮影でアフターはよく聞きますが、
ビフォーってあまり聞かないですよね。
最近、スタジオ入場前の1時間位、
レイヤーさんと喫茶店などで打ち合わせをするようにしています。
世界観/人物観イメージの擦り合わせ、
ロケーション確認、撮影優先順位など決めておくと、撮影がスムーズに進みます
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同人誌即売会ではそのビフォーが同人誌即売会の事であり
情報交換や交流が主とされる同人誌即売会で知り合いイベント後のアフターで
更に親睦を深める
そうしたものでした。

撮影その物が主となれば上記のツイートの内容になるのでしょう。

そもそも、カメラマンはモデルを使うとなればモデル料を払わなければなりません
コスプレイヤーは無料で撮影させてくれるとても都合の良い存在であり
最近はカメラマン様と言われたりで立場が随分変わって来てるようです。

私にとっての撮影は基本的には記念撮影が主であり
撮影での写真という作品創りはその副産物でしか無かったのですよね。

立場が変わるということは主導権が変わるということ
レイヤーの常識と当たり前がカメラマンの常識と当たり前に変わって行くことを指差します。
レイヤーのためのコスイベがカメラマンのためのコスイベに変わって行く
そんな未来もあるかもですね


予言します。
世界は2分する
どちらの世界も無くならない

華やかなコスプレはまだいま暫く盛り上がっていくでしょう。

私達側はまたアングラーに潜るだけです。

アングラーに潜る理由はコス差別を受けて追いやられていくからです。
何故なら片方はコス差別をして足を引っ張り合い上に伸し上がろうとする
私達はそれらさえも多種多様の表現の一部として受け入れるだけですから
ただ、同じようなことをしているからと
仲間や同士と思われたくないと住み分けが始まるでしょう
私達のコスプレは肉体で表現する同人誌なのですから。
同人誌は絵が下手でも上手くてもそこにファンの想いがあります。
アマチュアなりの思いが込められています。
そこに優劣はありません

なんとか両方を統合し一緒に引っ張っていけないものかと思っていましたが
もう、こうまで企業側が
いたれりつくせりで何でもかんでも用意して来ては難しいと判断しました。

コスイベでトイレに行ってる最中に財布を盗まれたという話を聞きました。
同人誌即売会では何度もイベントで顔を合わせる事になるので
そういう事をするとイベントに行けなくなる
そうした心理が働くので本来は起こらないことです。

少しづつですが変わって来ていてその片鱗が既に見えて来ています。
いきなり熱湯に浸けられれば飛び上がりますが
少しづつ変わっていくと気が付かないうちに違うものになっている
変化とはそうして訪れるものです。

流れに乗るのか?流れを作るのか?
私も喫茶トワイライトも今年が転機の年だと見ています。
今年いっぱい様子を見て今後の身の振り方を考えようと思います。

ポロッとこぼす

太古の時代、我々の仕事と言えば狩りであった、
遊びとはその狩りの本能から来るものであり
仕事嫌いと言う者は遊ぶのも嫌いと言う事になる

そんな人は飯食って寝てエッチして息してるだけで人生終わらせていいんじゃないのか?

しかしながら
仕事嫌い働きたくないと言いつつ
ゲームでは効率効率と睡眠時間まで削って仕事してるのと同じことして
リアルマネーに一切ならないことにエネルギーを使う

働きたくない遊びたいと言いつつ遊ぶという事を理解してない

人間とは不思議な生き物だw

遊びってのは案外「無駄」な所にあるんだぜ
だからこそメリハリってのが必要なんだよ\(^o^)/

楽しいと感じる事は遊び以外にもある
与えられるだけの楽しいはすぐに飽きる
与えられる楽しさしか知らない者は次期にだんだん何も感じなくなっていく…

何も感じなくなるというのは生きたまま死ぬに等しい


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
都市というのはだ「死に至る病」なんだ!合理的になればなるほど死臭がし始める
しかもそれは治療の見込みが無い
高度に発展したコンピューター通信で
人間は隣にいる人ととさえコミュニケートが取れなくなって
性格が歪んでいく
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「私を月まで連れてって」より引用

喫茶トワイライトの電話機

数週間前から使用不能になっていた電話機が本日から復帰しました。
原因は電話機が壊れたとか線が切れたとかでは無
くモデム?側に刺さっていた場所がいつの間にか違う場所に刺さってたのが原因と判明

大変ご迷惑をお掛けしたことをここに謝罪します。

喫茶トワイライト年末年始予定

喫茶トワイライト年末年始予定

年末は25、26,27、28、31営業しています\(^o^)/
年始は8日からのスタートです☆

31日は年越しPTでおでんと年越しそばを振る舞います。
営業時間は15時~深夜2時を予定…
(31日の閉店時間は予定は未定であり決定ではありません
みんなが居なくなるまで多分開けてますw)

基本的にしばらくはまだ
定休日は月、火、水
営業日は木金土日で祝日であれば月火水でもオープンします。

通常営業時間は15時~22時までですが
スタジオ利用の方は予約さえ入れて頂ければ
朝の7時でも6時でもオープンしますし
夜の2時でも3時までででも使えます。

来年からスタジオ利用料は【お一人様1時間200円】でご利用できます。

今年も来年もなにとぞよろしくお願いいたしますm(__)m

オタクはなぜ嫌われる?(長文)

オタクは何故嫌われる?
これは、私が推測するオタクは嫌われる理由です。
【あくまで1個人の推測ですので一つの参考にとどめ鵜呑みにしないよう】
よろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今でも言うのか解りませんが
私が若い頃は「漫画やアニメばっかり見てると馬鹿になる」からいい加減にしなさい
と、周囲からよく言われたものです。

と、言うのもアニメや漫画はその媒体の性質上
「解り易い(考えなくて良い)」というものがあり
当時は基本的に「子供向け」の物しか無かったのですよね
(まぁ漫画の方は劇画タッチで18禁本とかはありましたが
どのみち内容が深い…と、言うものではありませんでした。)

大人になると社会に出る
社会に出て働けば嫌でも職場の人等コミュニケーションを取らなくてはいけなくなります。
ですので周囲の人は「新聞を読みなさい」「ニュースを見なさい」と言って
これらは「共通の話題になる」と言う事であり
「共通の話題はコミュニケーションの切っ掛けになる」
と言う事だったのですよね

コミュニケーションとは他者の立場や考え方を学ぶと言う事に繋がり
「人の立場になって考えられる人になる」
と言う事に繋がるので

大人と子供の大きな差は
大人はその豊富な経験により未来を予測し答えを導き出すと言う点だと私は思います。

ここで、似て非なる物
「知識」と「経験」
今の時代はネットや携帯やスマホなどの普及により
年配者よりも若者たちの方がこうした周辺機器の取り扱いに長けており
知識と言う面では若者の方が長けていたり
こういう分野ではオタクの方が知識は豊富に持っていたりします。

ですが、どんなに知識があったとして
「恋愛の失恋した時のせつなさは経験も無しに解りますか?」
「SEXの快楽は経験も無しに解りますか?」
「食べたことが無い食材の味が解りますか?」

と、言う事なのです。

知識と経験の違いはリアルな想像と言う物にも影響します。

他者の「痛い」「辛い」「苦しい」は
自分自身がそれに近い痛みや辛さや苦しみを経験しないと本当の意味で理解出来ない
と言う事であり、それは「人の身になって考える」には必要不可欠な要素なのです。

では、自分が痛い目も辛い目も苦しい目もあいたくないから
他者の気持ちや他者の立場なんて考える人間にならなくて良いです!
そう言う事を想像するだけで欝になるから考えたくない
↑こう言う人が増えて来ていませんか?

これが私が時々言います
「人は人を人として見る事は案外難しい」と言う事に繋がるのです。

想像してみてください
この地球上の生物の中で私は人より恐ろしい生き物は知りません
人は人以外の生き物に何をしていますか?
寄生獣という作品でミギーも言ってます。
「シンイチ…『悪魔』というのを本で調べたが…
一番それに近い生物は、やはり人間だと思うぞ。
人間はあらゆる種類の生物を殺し食っているが
私の『仲間』達が食うのは ほんの1~2種類だ。質素なものさ。」

人は人を人として見無い時に人に残酷な事をしたり言ったり出来るようになるのです。

大人が歳をおうと涙もろくなると言うのは
その豊富な経験により他者を(それが動物であっても)
自分自身と置き換えて見る事がよりリアルに出来るからなのだと私は思います。

https://www.youtube.com/watch?v=aUB0Rk9ab3w
「お前に人権なんかねぇ」

法的に罰則があるから罰が怖くて殺さないでは無く
普通に教養のある文明人はリアルな想像で
【人が人に見えて人を殺さない、そして殺せない】となるのです。
そうした心をそれぞれが持つ事を団体生活をする平和な文明社会では人の理想像とする訳ですね

望ましいのは罰を恐れて罪を犯さないのではなく
罪を恐れて罪を犯さない人間性の育成であるということですね

戦争をしてはいけない
それは、文明人が理想としたい
「人が人に見えて人を殺さない、そして殺せない」が壊れてしまう環境になってしまうからです。

文明社会でその文明が崩壊した時
そこに残された人達のモラルが問われます。
震災の時、強奪、暴動等はほとんど無く日本人は助けあった
これは世界的にも日本人が評価されており
文明人としての高い民度と言う物が評価されています。
私達にとって案外当たり前?のことかもしれませんが
では、海外ではどうなのでしょう?

https://www.youtube.com/watch?v=pjYj-pCY10c
↑こちらは2005年8月末にアメリカ合衆国南東部を襲った大型のハリケーン・カトリーナ
が通った後の映像です。



調べてもちょっと見つけられませんでしたが
私の記憶では救護が遅れ窃盗、強盗、強奪が蔓延った為
報道で大統領命令で
「この地区でそれらの行動を行った者には予告無しの発砲を許可する」
と言うのが衝撃的だったので記憶しています。

要するに文明人が人間らしい行動をしなければ
人権を剥奪し動物と同じように射殺すると国が言って来たのです。

(ただ、この地域はアフリカ系アメリカ人貧困層が多い場所でありもともと治安が悪かったと
言う事と人種差別が激しいアメリカであり時代も2005年であった事も考慮しておきたい所)

人は人から生まれれば生物学上は人です。
ホモサピエンスです。
しかしながら、人は団体生活する生き物で
文明社会では人は人が理想とした人にならなければ共存出来ない
人として認めないと言う事が起こります。

こうした心を持ち合わさなければ
人の皮を被った怪物、化け物、獣になりうると言う事であり
隣人が信用出来ない社会になると言う事ですね
他国で自分自身を守るのに銃を保持するのもそうした事があるからでしょう。

「文明人」の対義語は「野蛮人」です。
野蛮人とは人が動物として本来もっともあるべき姿であり自然な姿とも言えます。
文明人とは人間が創り出した高度な文化の中で人が作りだした姿です。

我々はいつでもその自然な姿の野蛮人になる要素を持ちつつも
「人が知能が高く高尚な生き物である」
そうした誇りやプライドを持ち「人間らしく生きよう」とする姿なのだと思います。


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さて、オタクはその昔、犯罪者予備軍と呼ばれていた事があるのをご存知ですか?
これは、その昔、連続幼女誘拐バラバラ殺人事件(宮崎勤事件)と言う物がありまして
これが昼も夜もメディアを通して報道され
始めてTVを通して「ヲタク」と言う単語が世間に広がったと言う背景があります。

皆さんは犯罪者にはどんなイメージがありますか?
私は稀に見るケースで無ければ
●自己中心的で幼稚な思考の持ち主
●想像力の欠落、欲情を抑えコントロール出来ない人
(想像力の欠落と言う点は「コレをしたらどうなる?」と言う部分ですね)
●頭がおかしい人
 (幻覚等が見えたりする)
私にはこういうイメージがあります。

偏見かもしれませんが
上記が全て当て嵌まる存在があります。

それは「子供」です。
子供は脳が発達していない時は自分が空想した事と現実の区別がつかない事があります。
「子供の嘘は現実と空想の区別がつかないだけ
頭ごなしに嘘つきと叱るのではなく子供の話を聞いてあげましょう」
と言うのは育児本にも書いてあったりします。

そして、子供は残酷です。
画像
{1}
↑ですが、こう言う経験を積んで行きながら
命の大切さとか学んでいくのですよね

そしてこれらはまだ子供であれば左程問題では無く
教育していく事、学習して経験して行く事で変わって行きます。
それらは、基本的には大人が子供より「力で勝っている」から行えることなのです。

しかしながら、こうした精神状態のまま大人になるとどうなるか?

ここから想像してみてください…

大人の力や知識、それらは「力」でありパワーであります。
この力を「銃」と置き換えてみます。
幼い精神構造を「小学生低学年より下」と置き換えてみます。

こちらは非武装に対して街中に銃を持った子供がウロウロしている世界を想像してみてください
怖くありませんか?

それでも発砲事件があったとしても稀なケースかもしれません
他の国や他県などで発砲事件がありニュースになったとします。

でも、それはたまたまその子供が発砲しただけであって
街中にこれだけの子供が銃を持ってウロウロしてるのに皆が皆、
発砲してる訳じゃ無いじゃないですか
銃と子供に問題があった訳じゃ無くてその子供が問題だった訳です。

と、思えば自分が居る敷地内に見知らぬ銃を持った子供が入って来ても安心出来ますか?

これが、私の考えるオタクが嫌われる理由です。
要するに「力を持った幼稚な大人と思われている」と言う事です。



人はずっと孤独で他者とのコミュニケーションを取らないと
その人の現実感は失われて行くと言う心理があるそうです。
引き籠りとコミュ症はその環境を作り出します。


ネットやツイッターやLINEなど現代の私たちは
このような便利なコミュニケーションツールを持ちながらも
経験を伴わない知識をつのらせ
自分というものを構成出来ずに「誰かが言ったから」「みんなが言ってるから」と
一部の声の大きい人の影響を受けて振り回されているだけなのかも知れません

競争化社会の中、責任を押し付け合う社会の中で
我々は「間違ってはいけない」と教育されたのですから
「皆が言ってるんだから間違いない」
「もしも間違っていても自分1人じゃないから味方になってくれる仲間がいるから少しは安心」
こう考えるようになっても不思議ではないと思います。


http://girlschannel.net/topics/244107/
↑看護師が明かす「人が死ぬ間際に最も後悔する5つのこと」…

ですが、それで良いのか?
と、死ぬ間際で後悔しても遅いと言う事になります。

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問題の解決とは問題を直視してちゃんと向き合わないと
正しい解決策は出て来ません

昨今では漫画やアニメやゲームの表現が子供に悪い影響を与えてるのではないか?と
規制運動が起こってたりしますが
それは暴力シーンやエッチなシーンが使われるからでしょうか?

私はそう言ったシーンよりも
アニメや漫画やゲームが大人になれない子供を作り出す要因があるのならば
そちらの方が問題であり規制をかけるならその場所が違うのでは無いか?と思っています。

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あと、もともとオタクという言葉は
差別用語として使われたものです。
いわゆる悪口です。

SFマニアの方々がコミケット等で初対面で「君これ知ってる?」となると
角が立ち安いので「お宅、これご存知ですか?」と
言い合った所、第三者がそれを聞いた時に
「アイツ等、訳の解らない事をオタクオタクと呼び合いながら話ししてるぜ」
「あぁ、ああ言う奴らをオタク族って言うんだぜ」
と、なったので本来は自分からオタクであると言うのでは無く
悪意を持った第三者が差別用語としてオタクと呼んだのですよね

知識内の話ならよく喋って内向的でありめったにない機会なので
知識自慢をしたがる
あとは、上記にも書きましたがいい歳してアニメや漫画など
子供向け作品から卒業出来ない残念な大人
と言った意味も含まれていたと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

では、ここらで
なぜ嫌われるか?と言う理由が解ったのならば
どう対処すべきか?
オタクとは本当に忌み嫌われるべき存在なのか?

と、言った部分に触れたいと思います。

●忌み嫌われるべき存在であるのか?
たまに、私は「オタクになる為にはどうしたらいいのか?」
と言う質問を受けることがあります。
たぶん、私だけではないと思いますが
大抵の人はこう答えてるんじゃないかな?

「オタクとは、なろうとしてなるものじゃない」

それもそうです。
好きな事に夢中になっているだけで
その、行為の度が過ぎた時にオタクと呼ばれたりするのですから(^_^;)

好きでもない事を無理して好きなフリをしていてもオタクとは呼べないでしょう

ですので、良い言い方をすれば「才能」であり
悪い言い方をすれば「障害」なのかも知れません

ですが、これは第三者が見た時の判断は別として
もしも、自分自身が見た時の自己の判断であるならば
「才能であるか?障害であるか?は生き方の問題」だと思います。

自分自身の生き方に素直に合えば才能であり
自分自身の生き方にそぐわなければ障害になるということで
言い換えれば短所は長所と言う事とも言えます。

では、「才能」という点に焦点を当てて考えてみましょう。

「何かが好き」←これ一つとってもこれは素晴らしい才能なのですよ
「普通はここまでやらない」
そう、普通はここまでやらないか出来ないのです。
好きという気持ちは辛い苦しいを乗り越え苦が苦で無くなり
人を動かすエネルギーに変換されます。
普通は仕事でもない限り
徹夜までしてフラフラになって原稿を描かないし1円にもならないのに衣装を作ったりまではしない
好きって想いが普通ではやらない壁を超えて現実のものとする

これがやれない、やらない人には異常に見えるのです。

では、視点を変えて
プロのリーガーやアーティストがコンサートや試合の為に普通ではやらない
ハードな練習を繰り返してるとして
これは異常に見えますか?
これを異常と見る人はそうは居ないでしょう
「あぁ…だから我々一般人とは違うのだ」と思うと思います。
では、彼らは金の為だけでここまでやれるものなのでしょうか?
私は違うと思いますよ(^^)


普通というのは日本では並と言いますね
徹夜で原稿描いて本を作ったり衣装を作ったりする行為は
並以下の人間がすることですか?

もちろんこれらの行為をする人達にも裏には生活と言うものがあります。
オタクの世界は学業や仕事なども人並みにこなした上で
こうした事をしている人が殆どです。
こうした行為を並以下とは私は言わないと思います。



他者から見ればそのエネルギーを
もっと学力や仕事に変換出来れば…と思ってしまうのかも知れません

ですが、こればかりは価値観の違い
何がどう当人の人生の役に立っているのかは当人にしか解らない事ですからね
そもそも、「普通に生活をする」労力に+α何かあるだけで私は並以上だと思いますよw

私は人が持つ能力には差は然程無く
例えば100ある能力をどう振り分けたか?がその能力の違いに見えるだけで
更にその能力を汲み出すエネルギーこそが更に人の能力の差に繋がってるのだと思います。
「好きこそ物の上手なれ」って言うでしょう b・`ω・)

ちなみに私はコスプレ衣装を作りますが洋裁の知識など殆どありません
母は洋裁の知識がある人ですが「あんた器用やねぇ、私は同じように作れんわ」と言いますw
目的地に辿り着く道は一つでは無い、私は見た目的に何が何でもって気持ちだけで
当時は衣装を作っていました。
そういうものは完成するまでは万人には理解されないし間違ってると
思われたりするものなのかも知れません


万人が薄汚れた石ころと思っているものも
案外ダイヤの原石なのかもしれませんよw


私の見解ではオタクは文明社会において、文明人より尚、
文明人でありその最先端にいる高尚な存在だと思っています。

考えても見てください
車は車オタクがつくり電話は電話オタクが作るのです。
いま現代のパソコンや携帯電話、タブレットなど現代社会では
生活になくてはならないようなものも
これらは、オタクが作っているのです。

いいですか、マイクロソフトの社長のビルゲイツも
アップルの社長だったスティーブジョブズもオタクですよ
今の生活にパソコンや携帯やiPhone等は欠かせないものになってますし
私たちの生活を大きく変えるものになりましたよね
オタクには世界を変える力があるのです。

ビルゲイツの名言をいくつか紹介しますね
●私はものごとをとことん突き詰めるのが好きなんだ。そうすれば、たいてい良い結果が出るから。
●一心不乱に働くこと、ベストを尽くすことが嫌だというなら、ここは君のいるべき職場ではない。
●いまでもお金そのものには興味がない。仕事と莫大な富と、どちらを選ぶと聞かれたら、仕事を選ぶ。
 銀行の口座にある巨万の富よりも、何千人という才能あるチームを率いるスリルの方が断然面白いからね。
●オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。



さて、ではオタクは幼稚であるか?と言う問題ですが
答えはNOです。
漫画やアニメは基本的には今でも子供向けのものが多いです。
従って、基本的に子供はアニメや漫画が好きであり
実年齢と反して大人でもアニメや漫画が好きな人は少なくないです。

ですが、間違ってはいけないのはあくまでも漫画やアニメも道具の一つだということです。
アニメや漫画を見ていなくても精神年齢の低い大人は少なくありません
確かになかなか大人になれない大人もいます。

ですが、大抵の人は晩熟であるだけで殆どの人は何時か卒業します。
働いたり、子供が出来たり、家庭を持ったり、リアルな経験を積み重ねていくことで
その環境が人を大人にしていくのだと私は思います。

ですが、上記にも書きましたが
オタクとは成ろうとして成るものではなく
そうした才能なのですから環境が変わったとしてもそうした存在であり
そうした人がどう変わるかといえば
例えば、お子様ランチ好きだった子供が大人になってもお子様ランチ好きで
お子様ランチが来た時にヽ(*´∀`)ノわーいだけで終わるのが子供で
このお子様ランチをどう作ったか?シェフの思考や苦労を読み取ったり
その本質を深く追求していくのがオタクなのです。

作品を通してその裏にある人を知り人生を知る
カッコイイ昔的な言い方をすれば職人気質なのです。
ビルゲイツの名言をもう一度振り返って見れば該当しますよね(^^)b


だから、見分けることも重要です。
ただの大人になれない精神構造の方が単純に子供向けであるアニメや漫画が好きなのか?
ちゃんと大人の視点でアニメや漫画と接している人なのか?という部分ですね

過去と違い、アニメも漫画も大人向けの作品がどんどん出てきています。
大人から子供まで家族で楽しめるスタジオジブリ作品とまた違って

宇宙戦ヤマト、機動戦士ガンダム、新世紀エヴァンゲリオンを代表に
大人向けとも言えるアニメ作品も配信され
ヒューマンドラマ性も高くテーマ性も大人でも難易であり
かなり高尚な作品となって世界的にも評価が高い作品が数多く出てきています。

ただ単純にこの作品が好きと言うのではなく
どう優れているのか?追求出来るか出来ないか?という部分でしょうか

上記に書きましたね
「人が人を人としてみる」作品を通してもその背景にある人を見ると言う事であり
人を理解するということにつながります

ある程度、経験を積んで架空の世界や人物を疑似体験しシュミレートする
所謂ロールプレイング(役割演技)です。
もちろん、違いが分かるので空想と現実の分別は付きます。

そして私達が行える最大の能力は
空想した事を現実世界に引き出す(作り出す)能力なのです。


それらがちゃんと行われた時
きっと人が人に優しい社会作りが行われるのだと思います。

何故ならば
人の恐怖と言うものは無知から来るものであり
実際の結果や事実とは異なり
第三者から自分はこう見られてるのじゃないか?と言う恐怖心は
他者を理解出来ない自分自身が思っている事や自分が他者を
そう見ていることを反射している場合が多く
「馬鹿にされている」
「見下している」
「拒絶、否定されている」
と、これらに過剰反応する

それはコミュニケーション不足による結果
基準が自分自身になるからだと私は見ています。
正しく人が見えた時に解消出来るものだと私は思っています。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人が人を人として見て、
ある程度、経験を積んで架空の世界や人物を疑似体験しシュミレートし
空想した事を現実世界に引き出す(作り出す)
それらがちゃんと行われた時きっと人が人に優しい社会作りが行われる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
要約すると↑こういう事であり
上記にもっとも近い存在はオタクである
と、私は見ています。


「オタク大国日本」
私たちは磨けば文明人として世界の基準になれる
私はそう考えていますよ(^_^)

https://www.youtube.com/watch?v=gVPy5D_QnhM#t=411

「↑日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう
元名古屋グランパスエイト監督アーセン・ベンゲル」

https://www.youtube.com/watch?v=uJDyqyjqZ58
『日本人はバカ。試合会場のゴミを勝手に片付けるなんて、
清掃人の仕事を奪う悪質な行為だ』

https://www.youtube.com/watch?v=p3kOhdBy39E
「タイの感動CM~かけがえのないもの(日本語字幕版)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
米シンクタンクのピュー・リサーチセンターが
2014年に世界各国の「幸福度」を調べたところ、
国民1人あたりのGDPが向上した新興国における
幸福度の伸びが顕著ということが分かったそうです。
その中で日本人の「幸福度」は先進国で最下位だったそうです。

私はこれを見た時に
「幸せに気が付けないのが最大の不幸なのかもしれないと思いました」

https://www.youtube.com/watch?v=-2-cOCXSs5I

↑【治安のいい国ランキング】日本はナンバーワン
「日本人は国の恥となることをしない」・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回はかなりの長文で解りにくかったと思うので最後にまとめますね。

●オタクは幼稚な大人子供と思われている。

「アニメや漫画は本来子供向けのものが多く
精神状態が若輩の者達が好む傾向があるが
好まれてるだけでありそれはオタクとは言わない」

そう、見られるのであれば「そうではないのだ!」と
私達オタクがそれを証明するしかないのです。
過去に宮崎事件があって犯罪者予備軍と言われた時に
そんな時代に我こそがアイアムオタクであり
そうでは無いと証明し続けた人達が居て今に至ること
「カラスが黒いと言う認識は白いカラスが居れば変わる」

私は表に出る時は常に「オタクの代表として見られる」と意識しています。

オタクは忌み嫌われる存在ではなく
世界を救う存在だと思っています。

ただ、それは私一人で行える事や届く事ではありません
私が1万人の中のオタクの代表として
そう行動しても残りの9999人の人が
オタクは幼稚な大人子供として行動すれば
「私がオタクでは無い異端としての存在になってしまう」からです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あくまで
一個人の推測であり考えでありますが
もしも、私の話に共感出来た人達がいるのなら
共にオタクは世界を救う存在なのだと
協力し合い胸を張って生きていきましょうd(^_^)

クリスマスコスプレ大会参加者募集

これは、こう言う企画が私の所に広告として回ってきたものであり
こういうものがありますよという広告です。
※喫茶トワイライトはこの企画には一切関わっておりません事をまずご了承ください。

以下広告文
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
12/7(日)古賀市商工会チャリティークリスマス市民祭で
クリスマスコスプレ大会を開催します。
つきましては、盛り上げてくれる子供、大人の方を募集しています。

・子供の部 中学生まで
        プレゼントあります(数に限りがあります)

・大人の部 優勝 賞金2万円
        準優勝 賞金1万円
        その他の賞も有ります。

是非皆様のご協力をお待ちしております。

1日時 平成26年12/7(日)
     14時~16時30分  子供の部
     17時~19時30分  大人の部
2場所 古賀市商工会横「古賀いこいの広場」(※野外です)
3目的 古賀市の活性化及び地域の人の交流
4主催 古賀市商工会クリスマス実行委員会
5後援 古賀市商工会
6協力 古賀市、古賀市商工会青年部、古賀市商工会女性部

※連絡先 古賀市商工会クリスマス市民祭実行委員会 杉檠
        古賀市駅東1-4-7 リバティーベル内
        TEL 092-944-1701



「古賀市商工会 クリスマス市民祭13」
今年は皆がサンタさん
(買ってサンタ、撃ってサンタ、参加してサンタ)
開催日時:古賀駅前憩いの広場(古賀市商工会前)
開催内容:チャリティーショップ、チャリティーオークション
       (チャリティーによる売上はすべて古賀市社会福協議会へ寄付します。)
       クリスマスコスプレ大会、ステージイベント(バンド・太鼓等)出店等
       ◆クリスマスコスプレ大会参加者募集◆
        当日イベントを盛り上げるためにコスプレで参加してくれる人を募集します。
        子供の参加者にはプレゼント(数に限りがございます)
        大人には優勝・準優勝などを決め、入賞者には景品を準備しています。
         子供の部(中学生まで)14:00~16:00 表彰式 16:00~
         大人の部         17:00~19:00 表彰式 19:30~
        参加者はそれぞれ上記の時間の間にイベント会場へクリスマスコスプレをして
        来場し、表彰までお楽しみください。
        ※表彰式時に会場に居ない場合はプレゼント・景品が受け取れません

主催     :古賀市商工会クリスマス市民再実行委員会
お問い合わせ:古賀市商工会クリスマス市民祭実行委員会 実行委員長 杉 檠
         古賀市駅東1-4-7 リバティーベル内
         TEL 092-944-1701
イルミネーション・ライトアップ:12/1~
(アイドルグループ「れいしゅしゅ」出演)

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だそうです。
「コスプレ」と記載されていますがこれは「仮装大会」ですね
一応、聞いておきましたが会場に更衣室は用意しているそうです。
会場の「憩いの広場」は野外で公園のような場所です
あと、雨天決行だそうです。
商品や賞金も出ますし興味がある方は是非参加してみてくださいませ(^^)

私もコスプレを正しく認識していただくためとかお店の宣伝とかも兼ねて
参加しようかと悩んでいますw

幸福も不幸も呼びこむのは自分自身

えっと
前回の日記は計3か所に同じ内容で掲載していまして
そこそこ、反響が高かくコメントやメッセージを
それなりに頂いております。

ただ、私が前回の日記を掲載するにあたって
一部、誤解がある部分があるようなので
今回の日記を書く事にしました。

前回の日記の内容は
「くれない病」についてですが

この日記を掲載した意図は
●くれない病の人って困るよね
●そう言うのくれない病だから気を付けた方が良いよ
●くれない病の人に対しての愚痴

と、言うものではありません

日記を掲載した理由と意図は上記とは全くの逆で

【くれない病の人を救いたい】

と言う気持ちから掲載しました。

どう言う事か説明しますね

くれない病の人は前回も書きましたが
依存体質であり精神的に責任転嫁をするので「反省が無く」「反省しないから成長しない」
と言う部分

では、こう言う事がどう言う事を当人に招くのか?
と言う部分を説明しますね

単純に言えば自分の思い通りにならない事が起こると「ストレスを感じる」
と言う事です。

ネコで説明した時に
御主人にどんなにおねだりしても天気を猫に与える事は出来ません

社会に出ていき
大人になって行けば
だんだん、周囲から大事に扱われなくなってきますし
お膳立ても誰もしてくれなくなってきます。

程度問題ではありますが
何時までもこうした精神構造ではストレスがストレスを呼ぶ連鎖ををうみます。
抜け出せないストレスの連鎖が起こると人は周囲にあたったり鬱病へと向かいます。
極端な例ですが鬱病になるとまともな思考が出来なくなり
扇風機おばさんのようになってしまう事もあると言う事
(扇風機おばさん、解らない方はググってみてください、ただし観覧注意です。)



そこで、今回のタイトルなのですが
「幸福も不幸も呼び込むのは自分自身!」

その昔、「みゆき」と言うアニメーションのEDでH2Oが
「想い出がいっぱい」と言う歌を歌っていましたが
そこにこんなフレーズがあります。
「幸せは誰かがきっと運んでくれると信じてるね
少女だったといつの日かおもう時がくるのさ
少女だったと懐かしく振り向く日がくるのさ」


随分前に、mixiに「人の不幸は蜜の味」と言う日記を書いた事があるのですが
意図は同じです。
その人達を救いたかったのです。


「幸福も不幸も呼び込むのは自分自身!」で
他人事ならば
それらは自己責任であり余計なお世話でありお節介であるかもしれません

画像

ならば、エヴァンゲリオンのカオル君も
シンジ君に対してそうでしょう。

それでも、カオル君がシンジ君を助けたいと動くのは
シンジ君の事が好きだからだったのでは無いでしょうか?


大人は子供を自分の都合の良いように押し付けて変えたいだけ
そう思われて私の言葉や想いを悪意に取られてしまい
悲しい思いをした事もあります。

一生、自分を大切にしてくれてお膳立てしてくれる環境が作れて
それを維持出来るシステムが構築されるのならば
別にくれない族のままでも良いのです。

もしも、貴方の住んでる世界がそんな世界で無いのであれば
どこかで考え方を変えなくては上記の事が高い確率で起こりうる
と、言う事



問題の解決とは
まず、問題の提示から始めます。

ストレスを受ける
その要因は何か?
その提示が正しければ問題の解決の糸口になります。

主婦のくれない病の例をあげてみますね

夫がかまってくれない<ストレス
夫が買ってくれない<ストレス
子供が言う事をきいてくれない<ストレス

ここで想像してみてください
もしも、貴方が夫だったとしてこの問題にさしあたった時
どうしますか?
全て嫁の要望に応えると問題解決でしょうか?

答えはNOであり応えれば要望はエスカレートします。

ストレスの根本が
嫁姑の人間関係ならば間に入り話をする
育児による披露とストレスなら育児を手伝う
月のモノによる体調不良から来るものであれば一時的なもの
良い母であろう良い嫁であろうとする責任の重圧によるストレス
で、あれば、ガス抜きをしてあげましょう。

こう言う事では無いでしょうか?

問題とは目に見える直接的なものが原因で無い事の方が多い
なのに、その部分だけ蓋をしたり規制をかける等はなんの問題の解決にならないどころか
更に悪い結果を生み出す事がある
と、言う事です。

それと
今回、くれない病の話をしたのには
もう一つ意図があります。
1984年に子供によるものだったのが
主婦層にまで広がった事が社会問題となり
2012年で新くれない族として
男女を問わず新社会人がそうした傾向にある


こうした、流れを見て
何が起こっているかと言うと
社会人の精神構造の幼児化が進んで来ており
それが深刻な社会問題になって来ているのではないか?
と、言う事です。

↑この件に関してはまた別の日記で書こうと思っていましたので
まず、その布石として「くれない病」のお話をしました。

その原因とは何か?
予想の範疇を超えませんがそうした話をしたいと思っています。

くれない病

「閣下さんは乙女心が解ってない」と
昔、言われたことがあり
たまに言われることがありますが
私は「くれない病」には付き合わないことにしています。

http://www.k3.dion.ne.jp/~g-oak/magazine/S45-Kurenaibyou%20Kurenaizoku.pdf
↑「くれない病、くれない族」

「…してくれない」という典型的な責任転嫁の主婦症候群『くれない族』

それまで子供の使っていた「○○が××してくれない」という言葉が
主婦層にまで浸透していると言うことが一つの社会問題として
1984年に「くれない族の反乱」と言うTVドラマにもなりました。


私が「くれない病」「くれない族」「くれない症候群」
と、呼ばれるものを知ったのは
「地球へ…」の作者の竹宮恵子作品の
「私を月まで連れて行って」なのですが

分かりやくすネコで例えていました

女はネコによく似ていると言われるけど
ネコにもまた「くれない」病があるわけで

ネコ:にゃーん!(散歩に出たいの)
飼い主:外は雨だよ~ほら
ネコ:にゃーんにゃーん(ご主人様どうして天気「くれない」の?)

と、このようなもので

当時は子供から女性特有のもとされていましたが
最近は「新、くれない族」と言われる若者が増えてきていて
2012年度に入社した新入社員が、
ゆとり教育による依存体質であることから
「教えてくれない」「認めてくれない」等とよく口にするとして問題視されています。


くれない族の問題点は
依存体質であり精神的に責任転嫁をするので「反省が無く」「反省しないから成長しない」
と言う部分で

「ゆとり教育のなかでとても大事に扱われ、すべてお膳立てされたなかで育ってきたことが
その背景にある」とされています。

女性特有とされたのも
精神的構造や育児のストレスや嫁姑関係のストレス
あとは、男性がチヤホヤしたり周囲に
とても大事に扱われ、すべてお膳立てされた環境に長く居るとこうなって行く人もいます。
私達の世界でもコスプレしてカメラマンに囲まれるようになって
このように変わって行った人を何人か見たことがあります(^_^;)
オンラインゲームでは「姫プレイ」と言われるものそうですね

私が「くれない病」には付き合わないことにしているのは
成長して自立して欲しいからです。

人と人は2人以上居ると妥協のしあいであり
人は1譲ると10侵略されることがあります。

10奪う側は「それは手に入って当たり前」と言う意識にあり
9しか奪えなかったら残りの1を譲らなかった事に腹を立てたり
不満をこぼしたりします。

「あって当たり前のこと」
それは本当に「当たり前のことなのか?」

立ち止まって見つめ直す機会は必要だと私は思います。

あって当たり前のことが当たり前ではないと気がついた時しか
人はその当たり前を大切に出来ないのですから

最近実感したのは
小学生の子供が「水をください」と言う言葉から
こちらも「まぁ水くらいいいか」で譲った所を皮切りに
小学生の要求がどんどんエスカレートして行った事でしょうか

最終的には冷蔵庫を勝手に開けたり
カウンターの中まで入って物を勝手に取り出したりするようになり
その事を叱ると「ドケチ!」と罵倒を浴びせられる始末(^_^;)

最近はこうした
くれない症候群とか
ちゃんと教えてくれる人とかあまり居ないと思いますし
そうした事をきちんと伝えられる人になりたいものです。

10年後の自分…

10年先の自分の姿のビジョンはありますか?

10年後の自分は何をしていますか?

そんな先の事は考えられない?
先の事を考えると不安になるので考えない
なるようになるさヽ(^o^)丿
明日、死ぬかもしれないのに先の事なんて考えるだけ無駄

画像


それも人の人生、否定もしませんし
そうした生き方もあるでしょう。
それもまた人生です。

だから、これからのお話しは「こうしなきゃいけない」て、話じゃ無くて
「自分が納得して自分が決める事ですよ」と言うお話しです(^_^)

人の未来を見る想像力は基本的には
危険予知や危険回避の為にあります。
牙も鋭い爪も無いか弱き動物、人間が
大自然の中で生き抜くために身に付いた能力ですから
基本的にリアルに未来のことを想像すればろくな想像はしないでしょう(^_^;)

先が見え過ぎた人生はつまらない
何があるか解らないから面白い
だから、未来は想像しないで毎回起こる事にアドリブで対応していたい
↑これはある意味カッコイイですね
でも、アドリブと言うのは沢山の経験や体験を積んで
引き出しが多くなった人が楽しめる事だと私は思いますよヽ(^o^)丿


何かを成し遂げる人は
私の知る限りそうしたビジョンを持っています。

何度か日記を書く時に書いてますが
この世界の大抵の事は
「何が」>「どうして」>「こうなった」
で、構成されます。

それ故に、自分自身が思い描く「こうなった」に向かう為に
明確なビジョンを持つと言う事ですね

未来をコントロールする力

人は想像して創造する事が出来る生き物であり
それは未来だってそうです。

もちろん、必ずそうなるとは限りません
ただ、大抵の場合は
そうなる人はそうなるようにそう向かっている行動をしていると言う事

未来を見据えている人は
「今が楽しければ」では無く「未来をこうする為に」と言う選択をします。
ゲームでもそうですが一見、その場で損をしてるように見えて
3ターン後か5ターン後に効果が出て来るのですよね
未来を意識しなければ誰だってその場で損をするような選択はしません
意識する事が大事なのです。
人生は重要な選択肢の連発なのですから

大抵の事はすぐに結果が出るものではありません
少しづつ変わって行くものなのです。

少しづつ変わって行くものですから
自然と変わったように見えるかもしれません

でも、そこには人の意思が介入してる事が多いのですよ(*^_^*)

私達はインターネットや携帯電話やモバイルなど当たり前に使っていますが
スティーブジョブズと言うたった一人の人間が居なければ
こんな生活してい無かったかも知れないのですよ

そのスティーブジョブズはこんな名言を残しています。
『"製品をデザインするのはとても難しい。
多くの場合、人は形にして見せてもらうまで,
自分は何が欲しいのかわからないものだ"』

他者が想像している事は
それが具現化して誰にでも見える物にならなければ
そうそう伝わらないものだ
と、言う事です(^_^)


あると、信じないと登れない山がある
人がリアルに想像した事は現実となる
想像力を鍛えましょう。
未来に立ち向かう勇気を持ちましょう。

私は「生まれてしまったから仕方なく生きている」
なんて生き方は我慢できません

自分の人生ですし
自分の人生に責任を持ちたい
「責任を持つ」と言う事は「自由である」と言う事に繋がります。
「自由の裏には責任がある」
責任者に与えられる「決定権」これは責任を持つから与えられる権利であり
人が自由に選択肢から選択をすると言う事は
選んだ選択に責任を持つと言う事です。

これは、だれかに責められる事では無くて
自分が決める事ですから全部自分に返って来ます。

だから、流されて生きようとどうしようと自分で決める事であり
「自分が納得して自分が決める事ですよ」と言う事なのです。



私の10年後は
コミケットの理念を普及して喫茶トワイライトを数件チェーン店で経営し
日本のサブカルチャー文化を良き方向へ導いて
それを普及する為に世界中の同人系サブカルチャーイベントに参加して
世界中を飛び回っていますよ(^_^)v

教育について「人に必要な物は点数の取り方であろうか?」

皆さんは
「2本指のピアニスト」イ・ヒアさんの事をご存知ですか?
先天性の障害により、
両腕の指が2本ずつしかなく膝下の足がない
韓国の少女なのです。


私は特番で知ったのですが
その特番の映像はUPされてないようでした。

私が知って欲しいのはイ・ヒアさんの事では無く
そのイ・ヒアさんの母(ウ・ガプソンさん)の事

このお二人は確か母一人子一人で
幼少の頃、イ・ヒアさんがピアノに興味を持ったことから
指の力を鍛える為も有り
ピアノを教え始める

母は看護師であり昼間は看護師の仕事をして
その時間は娘にピアノの講師を雇って教えてもらい
仕事が終わると自身もピアノの勉強をして
娘にピアノを教え続けたと聞きます。

人々は当初、障害を持つ彼女がピアノを弾くのはムリだと言い
娘自身もピアノ漬けの毎日にピアノ嫌いになった
事もあるそうです。

母は「ピアノが弾けなければ他のことも何もできない
という一念でピアノにこだわり続け」
1日10時間の血のにじむような練習の果て、
ヒアはついに世界でたった1人の、
二本指のピアニスになりました。

母は
「何時か私は娘よりも先に逝く」
「その時、この娘は一人で生きて行かなければならない」
「この娘が4本の指でピアノを弾くからこそ
 人は聴きに来てくれる」
そう言っていました。

娘に嫌われた時期もあったであろうし
肉体的にも精神的にも金銭的にも辛かった時は
あったでしょう。
愛する娘に嫌われるのは相当辛い事だったと思います。

それでも、我が身を奮い立たせ
心を鬼にして
娘が一人でも生きて行ける道を作った
全ては娘を愛するが故にであり
これを母の愛と言わずに何と言おう


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私達は学校で勉学を学びます。
それはこの文明社会で生きて行く為の教育ですが
人として生きて行く為の教育と言う物は
はたして受けたであろうか?

マイクロソフト社のビルゲイツの名言に
こう言うのがあります。
「学校によっては君が落ちこぼれないようにしてくれたり、
 正しい答えが導き出せるまで、何度でも機会をくれる。
 実際の人生とは全く似ても似つかない。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界は残酷であり厳しい
ですが、私達はその世界で生きて行かなければなりません
だからちゃんとその事を伝えて
次の世代が自分の足で立ち自分の考えと意思で歩めるように
育てなければならないと思います。

そして歩みを止めずに、
進んだ先には世界は美しく希望に満ちている事も

だから、私は時に厳しい事も言います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


喫茶トワイライトは「学びの場」でもありたいと思っています。

ですがそんなに固苦しいものでは無く
知りたいと思った事が知る事が出来る


●勉強とはしなくてはいけないものでは無く
 したいと思う事
(個人的には勉強では無く勉学になるのですけどねw)

私は学生時代、成績は人に誇れるようなものでも無く
いわゆる落ちこぼれでした
(まぁ授業中漫画ばかり描いてましたしねw(^_^;))

ですが後に幾つか行った専門学校では結構良い成績で
どれも卒業しています。
専門学校は専門の教育ですし
自分が学びたいと思って来てましたしね

人は自分が得たいと思った知識は
スポンジのように吸収する物だと思いました。

その昔、辞書読むのが好きって人が居て
当時はその人の事を頭がおかしいと思っていましたが
(今思えばヒドイw)
今の自分だって辞書ほどの厚さのゲームの攻略本とか
丸暗記しちゃったりしますしねww


●勉強は受験の為にするものでは無く
 立派な大人に成る為にするのです。

↑上記の動画の言葉ですがこの言葉には同意です。

この世界の殆どの事は
「何が」>「どうして」>「こうなった」で構成されます。
多くの事を知り多くの経験をして
「こうなった」の未来を
想像して一緒に創り出して行きましょう。

私達人間は未来を想像し創造する力があるのですから…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昔はあまり使わなかったですが
最近、よく言うのが
「怒ってるんじゃない!叱ってるんだ!」
と言う言葉ですかね(^_^;)
「同じじゃん!」
と、言われる事もありますが
同じじゃありません

「怒る」と言うのは感情です。
「叱る」と言うのは教育であり
そこへは相手に対する愛や想いが込められています。

どちらにしても言われた相手は嫌な気持ちになったでしょう。
怒られて叱られて良い気持ちになる人など殆ど居ませんから
「怒られた叱られた=嫌な思いをした=同じ物」
こう考えるのでしょうか…(^_^;)

昔は言わなかったと言うのは言うまでも無く
叱られた経験が多い人はこれが解るからであり
最近の人達は
叱られた経験があまりないのかなぁとか思ったりします。

「叱る」の裏には「愛と想いがある」
「愛の反対語は憎しみでは無く無関心」byマザーテレサ
叱る以上は無関心では無いと言う事ですしね
そうした事を理解して想いをくんだうえで
叱った人が間違ったこと言っているのであれば
反論したり自分の気持ちを伝えれば良い

人は二人以上いれば妥協の仕合であり
だからこそぶつかり合って話し合って
それぞれの場所に折り合いをつける
黙っていれば相手はこれくらいいいだろうと
どんどん侵略して来ます。
主義主張も大切だってことですね

叱った側としては
叱った時に相手に嫌な思いをさせて
嫌われるのは仕方ないとして
(叱る側はそれも覚悟で発言しますし)
叱った内容や意味や想いを理解して貰えなかった事の方が
自身が嫌われるより悲しいのですよね

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人に真に必要な教育とは
テストの点数のとり方では無く
この世界、理性と感情を持った人と人が接する世界で
豊かに生きて行く方法であり
私はそんなものだと思っていますし
喫茶トワイライトは
それらが学び取れる場でありたいと思っています。

「真の誇りは傷つかない」

「嘘はつかない、」「約束は守る、」
これは私にとって当たり前の事、
「過ちに気がつけば即座に謝る」
デキる男は己の過ちに気がついた時に
即座に方向転換出来るもの

私が人が好きなのは
人は変われるし
成長するし
未知の可能性を秘め
奇跡を起こす力を持つからです。

だから、
「デキる男は己の過ちに気がついた時に即座に誤り方向転換出来る」
女はここで大抵泣く…(ズルいw(^_^;)だがまぁそれも女の特権w)
泣かずに上記の事が出来るなら
私は「出来る女や!」と心の中で評価しています。

「嘘をつかない」
「約束は守る」
この2項は「約束の大切さ」で書いたように
この世界を色あせた世界にしない為

「この世界は沢山の色と輝きに満ちてとても美しい」

上記2つを守り続ければ見えてくる景色であり
守らなければ見えなくなる
(何故に言い切れるかというと私はどちらの世界も見て来たからです。)


例えば、
空に浮かぶ雲を見た時に何に見えるか?
その答えも人によって違ってくると思います。

同じものを見ても同じように見えない
だから、私が見えている世界は言葉では説明出来ないのです。

同じ景色をみてもそれが沢山の輝きを放って見えている人もいれば
それが、モノクロにしか見えない人も居るでしょう。

それは、景色だけではなく人もそうなのです。

だから私は人が好き
人をもっと知りたい
その人にこの世界がどのように写って見えているのか
その断片だけでも知りたい

もしかしたら私以上に美しい世界が見えているのかもしれない
ならば、どうしたら?どんな生き方したら
そんな景色が見えるのか?

興味がつきません\(^o^)/

映画や漫画やアニメや音楽などもそう
人が表現するものには「想いがある」
私達、年配者は「愛がある作品は面白い!」と言う言葉を使います。
作品を通してその製作者が見えている世界が垣間見えた時に
魂のシンクロを感じるからです。

「どんなに美しく見えてもそこに思いが篭っていなければ
それは芸術にあらず。」

私がこの言葉を使うのはこうした理由です。
オタクは違いが解るからオタクであり
それがメッキなのか本物なのか見分けだって付くように
眼を肥やして来ていますから。


勉学はこの文明社会で生きる為に必要なもの
知性と理性を持った人として生きる為に必要なもの
そしてその幸福とは
そんな所にあるのではないかと私は思えてなりません

何故ならば
人は集団で生活する生き物であり
孤独を恐れます。

幽霊を信じない人の大半は「見た事がないから」
と言います。
ですが、愛や友情など同じく目に見えないものを信じる人は多い

それは、愛や友情は無いと思えば孤独であり辛いからでしょう。

「我思うが故に我有り」

愛も友情も目に見えなくてもそこに自分があると思えば存在するし
無いと思えば存在しなくなります。

ただ、目に見えなく形もないので
在るという事を信じたくても不安になる

だから
世界の色をハッキリさせる
色褪せさせないでボヤけさせないで
愛とか友情が見えた時、

信心は確信へと変わるでしょう。

それは「人の強い想いは実現する」
と言う、ことにも繋がります。

私達は2次創作で
1次制作物にヒントは貰います。
ですが、それがコピーや模写でなければ
「貴方が頭の中で思い描いた貴方にしか見えなかった風景が
他者にも見えるように具現化した」と言う事です。

何気なく当たり前にやっていた人も居ると思いますが
コレって凄いことだと思いませんか?\(^o^)/

お金にならない事=くだらないこと

そう考える人には見えない世界です。
同じ場所にいても
住む世界が違う
見える世界が違う

オタクである事は社会的にみて
後ろめたさを感じている人も少ないと思います。

私が「堂々としていたら良い」
と言うのは
「文明人としてどちらが素晴らしいか?」
と、考えた時に上記の事をバックボーンに考えれば明白だと思います。

後ろめたさを持ってオドオドすれば余計に突かれます。
私達は何も悪い事をしていない
素晴らしいことをしている

なのに世間は性風俗の延長とか
犯罪者予備軍という空気がなかなか抜けない

相手は「オタクは性風俗の延長とか犯罪者予備軍じゃないのか?」と
言う目でこちらに接してきます。
酷い場合は、そうであればそれは社会悪であり
「構成させる」「懲らしめる」「鉄拳制裁する」と
言う方々も居てその方々の思考では
それは「悪を懲らしめる=正義の行い」と正当化することです。
それは、世の為、人の為、お前の為、と
正当化する理由を持てば
かなり酷い場合は、
その正当化を縦に
自身の持つストレスを発散する場所としてチョイスする場合もあります。

問いただしてみたら
なんか後ろめたそうだったし、オドオドしていたんで
本人自身に後ろめたさがあるなら「やっぱりね」って確信になりました。
だから正義実行です。

(T_T)

人は人を人として見ない時
とても残酷な生き物になります。
それが正義の名のもとに行われるのであれば尚の事

私から見れば
「救いはそこの領域にあるのに…」
と、とても悲しくなります。


もしも、もしも世界の方が間違っているのならばそれは正したい

確かに目も覆いたくなるような事件はあります。
ですがそれを私達の活動と結びつけるのは強引でありナンセンス

確かにコミュ症で何を考えてるか解らない人もいます。
ですがそれは通常の世間にだって居るし
除外するのではなく
そういう人ほど救いが必要なのだと思います。


生き方を持つ
自分を持つ
自分の行動、言動に誇りを持つ

私があまり見ませんが2hcでは
確かに著名であることで人の本音は見えます。
情報収集には適しています。
(本物か偽物かを見抜く力量は必要ですが)

利用したことはありませんが
私も立場上言えないことも著名にすれば発言出来るでしょう。

ただ、何故利用しないかといえば
1人の大人として、「自分の言動に責任を持ちたいから」です。
大人になると言うことは責任を持つということであり
自由の裏には責任があり
責任を重視するからこそ自分で在り続けたまま自由で居られる

私はそう考えています。

「真の誇りは傷つかない」
それは生き方そのものですからね
生き方とは
武士道であり騎士道であり貴族意識であり紳士道であります。


私は最もこの領域に近い集団は
私達、同人の世界の人達だと思っていますよ(^_^)


個人的に思うのは
世間と私達の世界ではどちらが正しいか?と言うより
単純に数の暴力になっているんだと思います。

目も覆いたくなるような事件があった場合
もしも、自分が…と思うより
自分達では絶対に行かない領域の人達
理解出来ない何を考えているのか解らない人達なら何かしてもおかしくない
単純にこう処理したいだけじゃないかと思います。

カテゴリー分けと言いましょうか
異常な犯罪が起こった
自分以外の類似したカテゴリーを探し
そこに当てはめることにより
自分は絶対大丈夫と思いたい

要するにいじめる側になればいじめられる側にならなくて済む
漫画:「デビルマン」で後編の方に永井豪が鋭く人間心理を描写した心理ですね


数で劣っているなら
理解者を増やそう
誤解をとこう

まずは内側から

誠実に生きて正しいことを言い続ければ
きっとみんな解ってくれる



追記:正しい事
それは私が考える正しいと思うこと
上記の文章で言えば

オタク=性風俗、犯罪者予備軍では無い
と言う事を含めたそれらの事